はっぴー・ばーじゅん


 
 
 
「せんせー」
「しぇんしぇ!」
 
 俺が先生と呼ばれるようになったのはいつからだろうか。
 
 正直言って先生という呼び名はあまりしっくり来ていない。俺はいったい、いつから先生だなんて大層な存在になったのだろうか。
 確かに俺はこの子たちの四倍くらいは長生きしているのかもしれない。先に生きると書いて先生という意味ならばそうだろう。でもそれなら「せんしー」でも良い気もする。一般的な寿命で考えれば俺は彼女たちより先に死ぬだろう。先死。
 とはいえ果てしなく不謹慎なことを言えばこの目をキラキラさせて俺を見上げてくる子たちが、なんらかの事故で先に命を落としてしまうことも可能性としてはゼロではない。ならば先生という呼び名のほうがたしかに確実か。
 本当にどうでもいい。
 
 ふたりが細い腕をこっちに伸ばす。
 
 その小さな手にちょこんと乗っているのは、小さな箱と、もうひとつはヤッコさん。
 それぞれのおりがみの出来を確かめて、俺は最大限の賛辞を口にして、ふたりの頭を撫でる。満面の笑みと俯いた赤いほっぺがとても対照的。それぞれの反応に俺は溶け落ちそうな顔面に力を入れて、先生を維持する。
 
 はあ。
 
 小さい女の子というのはどうしてこんなに可愛いのか。
 おりがみなんかに真剣になっているその眼差しから、まだまだ未発達な寸足らずのひざまで全てが愛おしい、なんていうと変態に思われるかもしれないけれど。
 さて、変態とは、なんだったか。
 
 ふたりはまるで、そう躾けられたかのようにぺこんとおじぎをして、ほかのみんながいるテーブルへと戻っていく。ひらひらと舞う紺色のワンピースの裾。オシャレな白いラインが特徴的で、それはみんなおそろいの制服にみえて、ちょっとずつ模様が違う。長そで、半そで、フードがついていたり、スカート部分にひだが付いていたりと細かい部分もそうだ。
 そのことに気づいたのは、つい最近のことだけれど。
 
 アヒル口をつんとさせながらモクモクと折り紙に取り組む女の子たち。それを尻目に、俺はいったん畑の様子を見に行く。
 建物を出た先には青々とした芝生と、どこまでも広がる海と、白い雲。
 振り返った建物はくすみのある白色をしていて、木製の窓枠だけが茶色く映えている。
 
 修道院。孤児院。保育施設。
 
 どんな呼び名が適切かはわからない。俺がいつここに来たのかもわからない。
 ただわかっているのは、俺はここで六人の女の子たちと共同生活をしている。あの子たちは俺を先生と呼び、俺に全幅の信頼を寄せている。ただそれだけだ。
 この小さい小さい孤島には、ほかに誰もいない。何もない。
 朝起きたら一緒にごはんを作って、それから簡単な勉強を教えて、おままごとの相手や、ブロック遊びや、読み聞かせなんかをして、合間に果物や野菜の面倒を見て、夜はぐっすり眠る。
 すごく穏やかで、ゆったりとした生活だ。
 
 俺は建物の裏手に回って、畑の様子を眺める。
 おとといに植えた種がすでに瑞々しい作物に変わっている。農作の経験はおそらくないけれど、この成長速度に疑問を持つことは普通なのだろうか。
 不思議に思うことがたくさんあるのに、なぜ不思議に思うのかが自分でもよくわからない。俺にもきっと彼女たちのように、ちいさな子供だった時期があるはずで、さらに遡れば生まれたばかりの赤ちゃんだった時期もあったはずだ。
 
 男性と女性が性行為をして、女性が赤ちゃんを産んで、その子が育って大人になる。
 これを俺は常識だと感じている。
 
 けれど、俺はいったいどうやって大人になったのだろう。
 それらのことをどこで知ったのだろう。
 俺はこの島で大人の女性を見たことはないし、当然お産も見たことがない。
 もし記憶喪失だというのなら、記憶を失うより以前にそれを知っていたということになる。確かになにか、とても大切なことを忘れている気はする。気づいてからずっとそうだ。でもそれは、農作やお産の知識なんかではなくもっと別のことのような気もする。
 
 この島にずっと昔からいるような気がするのに、知らないことが多い。
 ひとつだけわかっているのは、俺の前任の“先生”は、おそらく最低の人間だったのだろうということだけだ。
 
 
 
   *   *   *
 
 
 
「しぇんしぇ、ごほん!」
「うん、おいで」
「うん!」
 
 るりかちゃんが一生懸命に伸ばした腕から絵本を受け取る。
 俺が床に腰掛けるのをいまかいまかと待っている、その表情に苦笑しながら腰をおろす。ぱつぱつの前髪の下で顔をほころばせながら、容赦のない勢いで俺の腕の中に突入してくる。ほとんど抱きつくような格好と、あごの下に触れるさらさらの黒髪にどきっとする。
 俺の服をつかんで、じょうずにバランスを取りながら振り向いて。
 ぽすん、とあぐらの中におさまる。
 
 柔らかいおしりの感触と、ほわほわの高い体温。
 俺は少し胸が苦しくなりながら、渡された絵本を彼女の前にひらく。
  『うみをしったうさぎ』
「うみを、しったうしゃぎしゃん」
 
 俺が読み聞かせの抑揚でタイトルを読み上げると、舌足らずな幼い声がそれに続いた。
 俺はページをめくり、二行ほどしかないひらがなだらけの文を読んでいく。るりかちゃんは微動だにしないほどの真剣さでまじまじとページを眺め、気に入ったらしい言葉は俺に続いて繰り返した。
 ちっちゃくて、純粋で、可憐で。
 思わず。
 絵本なんて置いてぎゅっと抱きしめてしまいたくなる衝動を、俺は抑える。
 
「おしまい」
「…………」
 
 読み終えて、ぱたん、と本を閉じると、るりかちゃんはしばらく固まったあと、腕の中でこっちを振り返り、物欲しそうに俺を見上げてくる。
 それが何を意味するのかを知ってはいるけれど、俺はわざと何も言わずに待つ。
 
「……んん、しぇんしぇ、もういっかい…………」
「うん? なに?」
「もういっかい! もういっかい!」
「もう一回読む?」
「うん!」
「いいよ、もう一回だけね」
 
 俺の言葉に満面の笑みが返ってくる。この瞬間がたまらない。
 はやく、はやくとばかりに彼女が体を小さく弾ませ、俺はもう一度本をひらく。すぐに静かになって、ひらいたページを食い入るように見つめた。
 飽きないのかな、とも思うし、別の本にすればいいのに、とも思うけれど、るりかちゃんはいつもこうなのであまり気にしていない。なにがなんでも俺の膝の上で読んで欲しがるのはるりかちゃんだけで、そんな可愛らしいわがままは、他の子からもそれとなく注意されたりもしている。
 るりかちゃん、せんせーもいそがしいんだよ! とか。
 るりかちゃん、ひとりでよめるでしょ! とか。
 
 俺が「別にいいよ」と言っているせいでそんな声もなくなったけれど、最初はケンカになりそうで少し怖かった。
 俺自身はウェルカムというか。いや、なんというか。
 こっちから「膝においで」なんて、なかなか言えたものではないので、むしろるりかちゃんの積極性に甘えていたりする。彼女は天使である。ほかの子もみんな天使だけれど。
 ページからあまり目を離さないように少しだけ気をつけながら、俺はうさぎの絵本を読み聞かせる。
 るりかちゃんに読んであげている間はあんまり顔を上げないようにしている。
 だいたいほかの子がこっちを眺めたりしていて、目が合うと、なんともいえない罪悪感に駆られるからだ。
 
「おしまい」
「…………」
 
 覚えのある上目遣いが俺を見ている。
 心なしかさっきよりも寂しそうな表情。
 もう一回だけ、と言ったからには、俺は三回目はダメだよと言わざるをえない。それをるりかちゃんはわかっている。そしてダメだと言われたら、この子はちゃんと聞き分ける。
 
 だからこその、無言の瞳。
 
 いますぐ本を投げ捨てて、そのちっちゃな体を抱きしめて、人形のような長い黒髪に頬を寄せて、先生が何回でも読んであげるからねと言ってしまいたい。ちゃんとガマンができる子だからこそ、どれだけでも甘やかしてあげたい。苦手なたまねぎも食べなくていいよと言ってしまいたいし、また就寝前に服を引っ張られたら一緒に寝てあげたい。
 
 だけど、俺は先生だ。
 
「おしまい、ね」
「んうう〜……」
 
 るりかちゃんは顔をくしゃっとさせながら、けれどグっとこらえて俺の膝から立ち上がり、絵本を受け取った。
 
「ありあとー、ごじゃいました!」
 
 ぺこんとお辞儀をする小さな女の子に、胸がキュンと鳴いた。
 そのまま、てってと小走りに本棚へと向かい、四段目に背伸びをしてうさぎの絵本を返す。
 もし彼女が三回目をおねだりしたら口を出すつもりだったのだろう、何人か、まるで監視するような視線がるりかちゃんを追っていて俺は苦笑してしまう。
 べつにいいのに。
 べつに、いいんだけどな。本当に。
 
 
 
 さて、と立ち上がろうとする。
 それと同時に奥のテーブルで椅子の引かれる音が連続した。
 
 立ち上がったふたりは少しせわしない手つきで玩具を片し、まるで示し合わせたかのように同時に本棚の前で鉢合わせ、驚いたように見つめあった。
 しばしの沈黙と、動き出しも同時。
 ふたりはまるで競うように俺の前までやってきて、そのうちのひとりがむんとした表情で俺に絵本を差し出した。勢いに負けたもうひとりは、その後ろでもじもじと自分の持ってきた本を抱えている。
 今日は絵本が人気の日なんだなあ、だとか。
 これを描いた作家さんも大満足だろうなあ、だとか。
 少しズレた感想を並べて、浮ついた気持ちを落ち着かせる。けれど、素直に行き着く先はどうやらこれはるりかちゃんに対する嫉妬心の表れだろうなという感想で、いままで個人的な読み聞かせなんてお願いしてこなかったふたりがこうして寄ってくる姿には、どうしたって顔面を保つのが困難になる。
 
「よ、よんでください!」
 
 彼女の必死そうな顔に、俺は腰をかがめて絵本を受け取った。
 いちばん幼さを感じるのはるりかちゃんだけれど、身長でいったら他のみんなも似たようなものだ。
 
 一応。
 
「読んで欲しい本がたくさんなら、みんなで読む?」
 
 と、意思確認。
 俺の言葉にはっとしたあと、ぶんぶんと顔を振る少女と、その後ろで本を抱えたまま頬を赤らめて俯いてしまう少女。
 るりかちゃんと同じように、という要求でおそらくは間違いなく。
 
 俺の膝の上がいい、と。
 
 やっぱり俺は、ふたりをまとめて抱き上げてお昼寝に向かいたくなる衝動を、鼻から息を吸うことでなんとか堪える。
 普段からるりかちゃんよりも幾分かマセていて、わがままも言わない二人が、こんな可愛らしい嫉妬心で子供らしい要求をしてくるなんて、顔のパーツが使い物にならなくなってしまう。
 
「わかった。おいで」
 
 俺が再び座ると、彼女はるりかちゃんよりも一層緊張した面持ちで腕の中に入ってくる。
 軽く抱き上げ、左ひざに乗せ、俺は唇を一文字に結んだままのもう一人にも手招きをする。本を大事そうに抱えたまま、彼女もまた顔を真っ赤にしながら、察したように右ひざへ小さなおしりを降ろした。
 ふたりが向かい合うように俺に体を預ける。
 ふたりして俺の服を掴んでいるのは無意識か。
 腕の中の幸せすぎるお花畑空間に、本来の仕事を忘れそうになる。
 
 はあ。
 かわいいなんて、ものじゃない。
 
 ぎゅっとしてしまいたくなる葛藤との間で、涙が出そうなほどの感嘆といっしょに。
 たまらない息苦しさを、俺は隠すように鼻から吐いた。
 
 
 
   *   *   *
 
 
 
「ごちそうさまでした」
「ごちそーさまでした!」
 
 俺に続いて彼女たちが小さな手を合わせる。
 夕飯を済ませたらあとは、寝る前にすることはお風呂と歯磨きくらいのもの。
 俺は順番に並ぶ彼女たちから食器を受け取り、流し台へと並べていく。俺に渡した子から頭をぺこっと下げて横に捌けていく様子は、本当に躾が行き届いてるとしか言いようがない。
 本当に行儀の良い子達だと思う。
 相変わらず、いったい何と比べて行儀が良いのかという部分が不明だけれど。そう感じるのだから仕方がない。いい子たちだ。
 
 じゃあ。
 がちゃ、かちゃ。
 
 今日も今日で、苦手な野菜も一生懸命に食べる姿に癒された。
 遠慮がちに口をもごもごさせて、そして意を決したようにぎゅっと飲み込む様子にはこちらまで力が入ってしまう。
 献立自体はキッチンに貼られた紙に書いてあるとおりだ。その紙も昔からあったものなのかそれとも俺の前任が用意したものかはわからないけれど、調理方法も難しくなく、彼女たちも特に何をいわないので味に問題はないと思う。
 ちなみに俺が言うまでは食事中は会話をしないことが決まりになっていたらしく、食器の音しかしないのはどうにも味気ないので俺から積極的に話題を振ることにした。彼女たちも最初はためらいがちだったけれど、今では今日あったことなんかを笑って話してくれる。
 
 どうやらここでの決まりというのは“先生”に包括されているらしい。
 俺の言ったことを、彼女たちはほとんど疑うこともなく飲み込んでしまう。
 こんなに可愛い子たちにそれだけの信頼を置いてもらえるのは嬉しいことだけれど、責任も感じてしまうなあ、なんてことを同時に思う。
 
 かちゃん。
 
 最後のお皿の一枚を水切り台に立てて、俺はぱっと手の水気を切る。
 お風呂は広く、だいたい三人ずつ入っているらしいので、六人で二組。だいたい俺が三番目で最後になる。
 
 …………べつに、実行しようとは思わないけれど。
 
 たぶん。
 お風呂に入るときは俺と一緒に入らなければならない、なんてことを言い出したら、彼女たちは何の疑いもなくそれに従うと思う。
 そう確信するほど彼女たちは従順で、まるで俺を神様か何かと勘違いしているんじゃないかと思ってしまうくらいだ。
 俺は先生と呼ばれているけれど、きっとそんな大層な存在じゃないし。
 彼女たちが思っているよりもずっと。
 ずっと、邪な人間だ。
 
 
 
「……しぇんしぇ」
「うん?」
 
 俺が振り返ると、そこにはなぜか浮かない顔をしたるりかちゃんが立っていた。
 紺のワンピースの裾をぎゅっと掴んで、言いづらそうにあひる口をツンとさせている。
 
「しぇんしぇ、……けんさ」
「るりかちゃん!」
 
 るりかちゃんが言い終わるより先に、しゃんとした声が響き、薄桃色の髪をした子が間に割り込んでくる。ここで一番しっかり者の、めくちゃんだ。
 めくちゃんはるりかちゃんの両手を掴んで、言い聞かせるように続ける。
 
「せんせーがいってたでしょ! けんさはいいの!」
「んう、うう……」
 
 るりかちゃんは自分の服をぎゅっとしたまま俯いてしまう。
 ああ、またか、と俺は思った。
 
「でも、でもお」とるりかちゃんが涙声を出す。「まえのしぇんしぇは……」
「せんせーはせんせーでしょ! せんせーがだいじょうぶっていってたから、だいじょうぶなの!」
「ううぅ、うううう」
 
 いまにも泣きそうな声を上げながら、るりかちゃんはめくちゃんではなく俺を見上げてくる。
 そしておもむろに。
 ワンピースの裾をめくり上げはじめた。
 
 ――――白地に薄い青色の、水玉。
 
「るりかちゃん!」
 
 めくちゃんはさっきよりも口調を強めて、るりかちゃんの手を下ろさせる。
 そしてほとんど背丈も変わらないるりかちゃんをぎゅっと抱きしめて、おしゃまなお姉さんのように優しく言い聞かせる。
 
「だいじょーぶ、だいじょーぶだから」
「……めくちゃん、は、こあく、ない、の?」
「……、……こわくないよ? だって、せんせーがいってたもん」
「ほんと? ほんとぉに、るりかは」
「……っ、だいじょうぶ、だいじょうぶだから」
 
 ふたりはお互いにぎゅっとしたあと、ふたりして俺に向かってぺこっと頭を下げた。
 その様子を遠巻きに眺めている子たちも、どこか不安そうな表情をしていて。
 俺はやっぱり、前任の糞野郎が許せなくなる。
 
 彼女たちはみんな、死に至る病を患っている。
 けれどそれはすぐに発症するものではなく、その前兆があるかどうかを検査することができる。検査の方法は彼女たちの体臭から。それも、彼女たちの幼い体の、とある一部の匂い。それで安全か危険な状態かが調べられるという。
 
 そういう、前任が勝手に作り上げただけの真っ赤な嘘だと、俺は判断している。
 
「…………」
 
 お風呂に向かった最初のグループを見送って、俺は就寝の準備を始める。
 
 最初、彼女たちが食後にこぞってスカートをまくり上げはじめたときはめまいがした。
 そのうちの何人かには恥じらう様子も見られた。けれどそれ以上に、そうすることが当然であるという、あまりにも無垢な信頼が見て取れた。
 それを俺は、犯罪的であると、直感した。
 法律とは何か、犯罪とは、罪とは。この島のことしか知らない俺は、それでもそれが非常に良くないことであることだけは感じられた。
 
 もちろん俺に医学の知識はない。
 
 あんなに小さくて可愛くて、元気な子たちは、もしかしたらもうすぐ死んでしまうのかもしれない。
 彼女たちの心配していることが、前任の虚言であるだなんて確証はどこにもない。
 これはあくまで、俺の直感でしかないのだ。
 それでも絶望的なほど、自分を納得させてしまうほどの直感だ。
 恋愛行為、性的行為、それらをあんなに小さな子たちに向けることへ、どうにもならないくらい拭いきれない忌避感があった。
 彼女たちが俺に寄り添うたびに、甘えられるたびに、笑顔を向けられるたびに。同時に俺自身を制御するために元から備わっていた機能かのように、心がズキズキと痛みを発するのだ。
 
 彼女たちは、こんなに小さな女の子たちは、守られるべき存在だ。
 決して侵してはいけない領域だ。
 
 そのどうしようもない直感が俺に語りかけるんだ。
 俺の前任は、その“先生”は犯罪的な糞野郎であったのだと。
 嘘を教えて、自らの望む行為に及んだのだと。
 
 俺のことを前面的に信じてくれる彼女たち。
 それでもまだ、前の先生を同時に信じているのだろう。
 
 ――――――じぶんたちは、もうすぐ死んじゃうのかもしれない。
 
 本当に、ヘドが出そうな嘘だ。
 
 
 
「…………っ」
 
 それでもまだ、俺はさきほどの。
 るりかちゃんの、めくりあげられていく裾から見えていく、まだまだ短い脚と、そして可愛らしい下着を思い返して。心臓が嫌な音を立てる。
 俺も、また。
 正常な人間では、おそらく、ない。
 
 
 
   *   *   *
 
 
 
 自室。
 俺は窓をあけ、外を眺めながらひんやりした夜風で髪を乾かす。
 どこまでも続く黒と紺色の水平線。名前も知らない星座が所狭しと上空で瞬いている。こんなに美しい世界を堪能できるのも、俺を含めてたったの七人。
 寝間着と、風呂上りの汗ばんだ肌の隙間を空気が通り抜けていく。心地よさに目を閉じる。じんわりとしたまぶたの裏側。
 
 なんにもない。
 
 ただただ夜風を感じて。俺は彼女たちの先生をして。
 あんなに可愛くて、いい子達に囲まれて、生きていく。
 
 ただただ漠然とした、幸せな未来設計。邪魔するものも何もない。
 なーんにもない。
 
「はー……」
 
 きっと世界一贅沢なため息をひとつ。
 幸福追求権をさらに行使するのならば、みんなを呼んで一緒に眠れたらどんなに素晴らしいか。このベッドは俺一人には広すぎる。
 まだ寝ぼけている彼女たちを眺めるもよし、うっかり寝過ごして、ほっぺをつねられたり、上に乗っかられたりして、みんなにたたき起こされるもよし。
 行儀のよい彼女たちはきっとそんなことはしないだろう。
 そして俺もまた、彼女たちを寝室に呼ぶことはしないのだろう。
 
 あの子たちをそばに寄せて、仲良くベッドに入って。
 そうしても良いと思えるほど、俺は俺を信用していない。
 
 そんなことを許してしまったら、もう俺は俺じゃない。なんて。
 はっは。
 誰だよ、お前は。
 
 
 
「せん、せ?」
 
 蚊の鳴くような声に、俺は驚いて寝室のドアを振り返る。
 足を忍ばせてきたのだろうか、そこには寝間着姿のめくちゃんがおずおずと佇んでいる。シンプルな白のネグリジェは見るからに生地が薄そうで、彼女のわずかな動作にも裾がゆらゆらと揺らめいている。
 
「めくちゃん?」
 
 一目でただ事じゃないと悟り、俺は窓際の椅子から腰を上げた。
 確認したことはないけれど、夜間に先生の寝室に足を運ぶことはしないようにと決まっているはずだ。就寝前にまだまだ俺と話したりないという表情を見せていた子も、この時間になったら俺の部屋を訪れるということはいままでに一度もなかった。
 
「……せん、せぇ」
 
 いまにも泣き出しそうな声を上げながら、めくちゃんが薄桃色の髪を揺らす。
 小走りに近づいてきた彼女を俺は受け止める。
 
「どうした? 何があった?」
 
 めくちゃんはここにいる子たちの中でも、いちばん決まりをしっかりと守る子だ。
 その彼女が俺に会いにきた。いったい何が。
 
「せん、せ」
 
 腕の中で俺を見上げる瞳に。
 つい先刻まで、まったく同じ表情をしていた別の子が重なって。
 
 俺は。
 慌しい予感に、生ぬるい息を飲み込んだ。
 
 
 
 

 書いたもの

(18歳未満の方は閲覧できません)

 プレイ内容(ネタバレ含む)


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