前夜際


 
 
 
 酒を飲んでいるわけでもないのに、明日の今頃は、なんて、そんなおセンチなことを考えてしまうくらいには、俺は参っているらしい。
 片足を折り曲げて両手に抱える。
 ぎい。
 壁際に備え付けられたベッドは木製で、軋む音はこの宿屋の年季に比例するかのように低くて深い。俺はそんな人生の大先輩に腰掛け、壁に背中を預け、窓の外を眺めている。ここからじゃ月は見えない。
 ぐう。
 意識するまで聴こえなかった音が、意識した途端に耳から離れなくなる、なんてことはよくある。川のせせらぎみたいなものだろう。
 窓の外の風。葉を揺らしている。しんとした部屋の中。家鳴り。俺の手がシーツを滑る音。
 ため息を吐いて、目を閉じる。わずかな物音にも期待している俺がいる。わかっている。何を期待しているのかも。寝られないなんて言い訳でこうして窓の外を眺めている、その理由も。
 待っている。俺はただ、何かが動きだすのを待っている。
 ぐえ。
 ベッドがまた情けない音を出す。そんなに俺の体重は重いだろうか。どうにか朝までは耐えて欲しいものだ。それでなくたって、どうせ、あと少しの辛抱なのだから。
 部屋の隅に目を向ける。立てかけられた鎧が月明かりに淡く青に光る。暗闇だからこそ綺麗に見えるけれど、その実、いろんな箇所に大小さまざまな傷跡が残っている。俺と苦楽を共にした証だ。
 男という生き物は思い入れのあるものをなかなか捨てられない、なんてことを聞いたことがある。例えそれがもはや何の機能も果たしていないガラクタだったとしても、いつまでも手放すことができないんだとか。
 なんとも女々しい話だと思う。思うが、この鎧がお役御免になるその時がきても、きっと俺は捨てることなんてできないのだろう。そんな予感がする。俺も結局女々しいんだ。
 わざとらしいほど、盛大に息を吐く。
 胸の中にあるこんがらがった何かを全部吐き出したいのに、絡みついたままだ。肺に絡んで、心臓に巻きついて、へんてこりんな花を咲かせては、すぐに枯れていく。鬱陶しい。落ち着かない。走りにでもいこうか。
 俺は無言で頭を振る。行くわけもない。俺はここで待つだけ。
 予定も何もない。それでも。

 ががん。

 窓の音に体がびくりと震えた。
 鼓動が早くなる。窓の外を注視する。何も見えない。
 風がからんからんと窓を打つ。鍵は閉まっていない。それでも開かない。開くはずが無い。風なんかで開いてしまう窓があっては困る。当たり前のこと。
 しばらくそのままでいると、空気を察したかのようにベッドがぎいと鳴いた。ああ、くだらない。
 強風が窓を打ちつけたようなさっきの音は、やっぱりただの強風だったらしい。
 俺は目と目の間のあたりを指で強くつまむ。本当に参った。何を馬鹿げたことをやっているんだと自嘲するが、笑ったところで眠気はこない。
 ごんごん、と軽く後頭部を壁にぶつける。隣の部屋には誰も居ない。仲間は別の部屋。
 あいつらはもう眠れたのだろうか。ふとそんなことを思う。
 戦士はロック鳥の巣の中だって眠れる奴だ。問題ない。魔法使いも規則正しくをモットーにしているような面倒くさい奴だから、この時間に眠くならないなんてことはきっとないのだろう。
 僧侶は、僧侶は――――――。
 
 それぞれの部屋に分かれる前の、彼女の物言いたげな瞳を思い出す。なにせ、こんな日だ。積もる話もあったのかもしれないし、もしくはそれ以上の、男女のあれそれを望んでいたのかもしれない。
 回復の呪文が使えるくせに薬草好きで、変なところで頑固で、背が小さいことを気にしてて。胸も控えめで、だけどその肌は綺麗で柔らかくて、温かくて、熱い。そんなことまで知ったのは、つい最近の話だけれど。

 つまんでいた指を離して目を開ける。幾分、部屋の中の闇が深まったように感じる。
 いい加減に目が慣れているにも関わらずそう感じるのは、俺の心境の問題か、もしくは月に薄い雲がかかったのか。それとも誰かさんが俺に、もう諦めて寝てしまえと言っているのかもしれない。
 眠れば楽になるだろうか。なるはずもない。
 このベッドに横になって意識を手放してしまえば、俺はいずれ今日という日を永遠悔やむことになるのだろう。きっとそうなる。それだけはわかる。悪夢を見るわけでもなく、睡眠中の尿意を懸念しているわけでもない。
 眠ってしまえば、朝が来てしまう。ただそれだけのことが、いまの俺には何よりも受け入れがたい現実だった。
 深い濃紺に染まる部屋は窓に近づくほど青白く色合いを変えていく。厳かな月明かり。まだ俺が夜の中に居られるという証明。
 このまま、夜が終わらなければいいのに。

 とん、とん。

 部屋の入り口から、控えめなノックの音がする。一瞬にして期待に胸が膨らんだ。しかし、すぐに扉の向こうの人物に思い当たって、あっけなく気持ちが萎んでいく。そして、そんな自分の浅ましさに苦笑する。
「はい」
 ベッドから降りて扉を引く。きぃ、という音がやけに大きく響いて、少しだけ焦る。他の宿泊客がどれくらいいるかは把握しきっていないが、少なくとも全員寝静まっているだろう。
「……どうしたの」
 ローブ姿で俯く彼女に、俺はできる限り優しく声をかけた。小さな魔法の光が、周囲を薄く照らしている。僧侶は「うん」と小さく返事をして、俺を見上げた。その瞳は揺れていた。
「もう寝ちゃったかなあって、おもって」
「そっか」
 彼女はそれだけ言うと、指先に灯していた魔法の光を消し、小柄な自分の体を抱きしめる。視線を落とし、口をつぐんでしまう。俺は何となく彼女の心境を理解する。
「大丈夫?」
 ぽんぽんとその頭に触れると、彼女は両手を胸に添えて、おずおずと俺に近づいて、ぽすんとおでこを預けた。これが今すぐ抱きしめろという意味合いだと気付いたのも、また最近のことだ。
 華奢な体。腕の中に簡単に納まってしまう。ほのかに薬草の香りがする。抱きしめられた彼女はこの距離でなければ聴こえないほど小さなかすれ声を残して、すぐにおとなしくなる。
 俺のよく知る匂い。これは傷を癒す種類のものではなく、香料として楽しむものだと彼女は言っていた。旅の効率云々のツッコミを入れたら、女心がわかってないと一蹴されたのを覚えている。
 彼女の鼓動を感じる。しんとした屋内。体から伝わる熱は俺よりも高い。それを子供っぽいなんて言ってしまうとすぐにふて腐れる。年齢を示唆するような言葉は他のいたずらよりも機嫌の直りが遅いから注意が必要だ。これでも俺と一つしか違わないのだから。
 それも曲がりなりにも、彼女のほうが年上なのだから。
「ごめん、今日ひとりになりたいっていうのは、わかってたんだけど」
「うん」
 俺は相槌を返す。僧侶は一息置いて、また申し訳なさそうに続ける。
「どうしても、眠れなくて……」
 それだけ言って、彼女は口をつぐんでしまう。ここまで甘えたになる彼女も珍しく、俺も思うところが無いではないが、ここで「とりあえず、部屋入ろうか?」なんて誘ってしまえば、彼女の肌の熱量から察するに、その後どうなるかは知れたことだ。
 俺は力なく天井を見上げる。暗闇は何も言ってくれない。
 かすかな呼吸音。彼女なら俺の、このどうしようもない気持ちを取り除いてくれるだろうか。
 知れたこと。どうした所で俺は後悔するんだろう。じゃあその選択肢はと聞かれれば、やはりここで彼女と一夜を過ごすというのは、いまこの瞬間を何回やり直したとしても俺は選ばないのだろう。
「明日も、早いよ」
「……隣に居てくれればいい、それだけ」
 彼女の声はわずかに震える。言い慣れないセリフだからだろう。この暗さでなければ、耳まで赤くなっている姿が見られたかもしれない。もともと甘えるのが苦手なのは知っている。
 そんな彼女にここまで言わせて、恥をかかせるわけにもいかない。長いこと付き添った旅の仲間としてはもう少しだけいじめてみたくもなるけれど、そういう雰囲気でもないようだ。
 俺は彼女の頬に片手をあてて、優しく滑らせる。そのまま顎を少し持ち上げるようにする。彼女が身じろぎをして、それを逃がすまいと、やや無理やりに彼女の唇を捕らえる。小柄な体が小さく跳ねて、強張る。そしてゆっくりと力が抜けていく。彼女の吐息が熱い。
 しばらく堪能してから、そっと体を離す。彼女の呼吸が上擦っている。そういえば少し前に「なんだか余裕そうでむかつく」なんて言われたことを思い出す。笑いそうになるのを堪えながら、彼女の髪を撫でた。
「ごめん、どうしても今日は、……明日は、一緒に居よう?」
 覗き込むように姿勢を下げると、僧侶はぷいとよそを向いてしまう。
「……明日、そんな時間ないかもしれないでしょう?」
 しばらく逡巡してから、彼女が言う。
 この拗ねたような口ぶりは、満更でもないことを示している。少し不安ではあったが、どうにか聞き分けてくれそうだ。
「そんな、夜遅くまで捕まってることはないと思うけどなあ」
「わかんないじゃない」
「もしそうなったら、二人で抜け出せばいい」
「……ほんと?」
 彼女が俺を見上げる。俺が顔を近づけると、彼女は慌てたように視線を泳がせて、少し俯いた。俺は彼女の前髪におでこを小さくコツンとあてる。
「約束」
「……うん」
 
 別れ際に、遠まわしにもう一回とせがむ彼女にキスをして、その後姿を見送ってから、俺は自分の部屋の中へと戻った。
 閉めた扉に背中をつけて、そのままズルズルと座り込む。片手で顔を覆う。そのまま顎の下まで撫で下ろして、息を吐く。なにが、どうしても今日は……、だ。そんな大層な理由で眠るのを渋っているわけでもないくせに。
 自分自身を鼻で笑ってやる。ついでに力も抜けてくる。
 窓から差し込む青白い光は静かに床へと広がっている。俺の場所までは届かない。それでいい。俺は照らしてもらうほどの人間じゃない。きっとすぐそこにある神聖な光を浴びてしまえば、嘘つきを暴かれて狼男にでも変えられてしまうかもしれない。そんな伝承も伝説も、聞いたことは無いけれど。
 彼女の瞳は真摯だった。俺を信じてくれている。胸の奥が小さく痛む。
 俺が言ったことに嘘は無い。けれど、言葉の中に嘘があるかどうかじゃない。後ろめたいかどうかだ。
 目蓋を閉じる。この目を近くで見た彼女は、どう感じただろうか。その色は澄んでいただろうか、それとも濁っていただろうか。もし濁っていたらなら、この暗闇がそれを隠してくれていることを祈るしかない。
 何となく月の光を避けてベッドによじ登る。腰を落とせば敷布団が沈む。壁に背中をつける。また戻ってきた。戻ってきてしまった。
 ため息を吐く。代わり映えのしないこの時間の流れはいつまで続くのだろうか。この夜が永遠に明けないまま一生を終えてしまう人生を選べるとしたら、俺はそれを選ぶのだろうか。馬鹿げたことだ、どうせ朝は来る。それに何十年も座り続けていたら、尻が痛くてかなわない。
 
 がんがん。
 
 風が窓を打っている。俺はぼんやりと虚空を見つめる。
 何の変哲も無い夜は、何の変哲も無いまま過ぎていく。そしてそのうち「当然だろ?」みたいな顔したお日様が、人の気持ちなんか知りもしないで、お得意の全生命活力光で地表を照らしやがるんだ。なんとも、ありがたいことで。
 俺は目蓋の力を抜いていく。寝るつもりはないけれど。
 
 がん、がこ。

 そちらへ目を向けると、その強風の正体は窓の外でにっと笑って静かに窓を開いていく。そいつは器用に体を滑り込ませると、ふー、と大げさに一息ついた。
「……待った?」
「誰が」
 ぶっきらぼうに返す俺はそれでも、出て行け、なんて言わない。
 いくら俺の話を聞かない彼女であろうと、そんなことを口にすれば、万が一にでも本当に出て行ってしまうかもしれないのだから。
 
 
 
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「なんでキミの部屋はお仲間さん達とこんなに離れてるのかなあ?」
 彼女はにやついた顔で俺に尋ねてくる。その聴き慣れたささやき声が今日はやけに嬉しくて、そして、ひどく胸に迫る。おかげで俺は少し言葉に詰まってしまう。
「……別に、一人でいるほうが明日に集中できると思っただけだよ」
「すけべ」
「聞けよ人の話」
 彼女がくすくすと笑う。
 後ろ手に窓を閉めながら、まるで今から弄ぶ獲物を品定めするかのように薄い笑みを浮かべ、小首をかしげる。その怪しい表情ですらも呆れるくらいに可愛くて、俺にはどうすることもできない。
 月明かりに浮かぶシルエット。淡い色の長袖にロングスカート。サキュバスのくせに極力露出を控えたその出で立ちは、どう考えても狙っているとしか思えない。
「どう、これ。懐かしい?」
 彼女が踊るようにポーズを決めながら、自分の衣装を主張してくる。
「……悪趣味」
「好きなくせに」
 そう言って得意げに目を細める。表情がころころ変わる。
 彼女が同じ部屋の中にいる。彼女が笑っている。その事実に、たったそれだけのことに胸がきゅうと鳴く。待っていてよかったと心の底から感じられる。その一方で、今日は何があっても彼女に逢うべきではなかったのだろうなと、その見慣れた笑顔に直感する。
「となり、いい?」
 彼女は両手を後ろに回して腰を折り曲げ、俺の顔を覗くようにして尋ねてくる。彼女の肩までかかる髪がさらりとゆれた。
「だめ」
「ありがとー」
 悪魔らしくふふっと笑って、彼女がするりと近づいてくる。俺は諦めて息を吐く。彼女がかがんで、片手をシーツに滑らせる。長い指先。腰を乗せる。沈む。仕草がいちいち艶っぽくて、本当に嫌になる。
「……しょ、と」
 そのまま、俺のすぐ隣に納まってしまう。肩が触れ合う。距離はゼロ。彼女の容赦のなさに、俺はどうしようもなく心が沸き立ってしまう。
 女性特有の体の柔らかさ。体温。彼女のほんのりとした甘い香りに、おそらく手に入れたばかりであろう新品の衣類の匂いが混ざる。心臓がうるさい。俺は誤魔化そうと彼女から顔を背ける。
「だめっていっただろ」
「少しくらい抵抗したら?」
 彼女のくすくす笑いに、俺は歯噛みする。馬鹿にされて恥ずかしいのに、イラっとするのに、なのに部屋の中がいつのまにかこんなにも明るくなっている。別に彼女が魔法を使用しているわけでもない。
 月に異変が起きて、今だけ光を強めているに違いない。そうでなければ、こんなにも色付いた視界が説明できない。
 彼女が両膝を曲げて腕に抱える。体重をわずかに俺に預ける。今日、彼女に言いたいこともあるし、聞きたいこともあるのに、ほんの少しの仕草でこの後の展開を予感させられてしまう俺はどうしようもなく人間のオスで、どうしようもなく彼女に参っている。
「んー、この匂い嫌いだなあ」
「へ?」
 俺がまぬけな声を発して振り向くと、予想以上に近い位置で、彼女がすんすんと鼻を鳴らしている。俺は息が詰まった。
「今日のキミの匂い、あんまり好きじゃない」
「……はあ、そうですか」
 唐突な言葉に少しショックを受けながら、それを隠すようにまた顔を背けた。首元に迫る彼女の顔をどかしたいけど、あまりどかしたくもない。
 何かにつけて人の匂いを嗅ごうとする恥ずかしい奴ではあったが、不本意ながらも今のような酷評をいただいたのは初めてだった。
 汗臭いのだろうか、それとも成長期を経て体臭が変わったのだろうかと様々な可能性を模索してしまうあたり、俺は彼女の言ってることを気にしすぎなのだろうが。
 ……ああ、もしかしたら。
「草っぽい?」
「そう、草っぽい」
 俺は合点がいった。僧侶の匂いがある程度移ってしまったらしい。
 俺からすると何てことはない香りではあるが、その薬草の効能によっては悪魔からすればあまり嬉しくない香りなのかもしれない。ぽつりと、「これはまたマーキングしないとだめだなあ」なんてつぶやいた彼女に、俺は心底疑わしいものを見る目つきを向けてやる。
「なんだよ、マーキングって」
「聞きたいんだ?」
「いや、聞きたくない」
 嫌な予感がしたので追求するのをやめる。彼女はそんな俺の態度に勝手に満足して愉快そうに笑いだす。俺は諦めて鼻から息を吐いた。
 ……朝までどれくらいの時間が残っているだろう。ふとそんなことを思う。
 この色欲魔が夜に忍び込むようになってから、一度もそんなことを考えたことはなかった。だいたい考える暇もなく襲われて、気付けばすべて終わった後だった。
 まだ体が成長し切ってない頃は腕力も何も敵わなかったから、いいようにされた。それはもう、彼女のしたいようにされた。仕方ない。しかし俺は強くなった。今はもう抵抗するだけの力も技もある。その結果どうなったか。
 やっぱり、俺は彼女に抗うことができないらしい。そしてそれは、俺に恋人ができた今もまったく変わらない。
「……」
 彼女が俺の肩にそっと頭を預ける。密着する面積が増える。髪の匂いがする。
 俺は、指一本動かすこともできない。こんなにゆったりと時間の流れを感じていることも、あまり経験に無い。つまるところ、彼女も彼女で、今日は少し様子がおかしい。
 俺は何となく、生まれた頃から人間に飼育されている大型獣の話を思い出す。
 躾のために、その大型獣は小さい頃から足に鉄の枷をはめられる。やんちゃな頃だから、飛んだり跳ねたりもするけれど、やっぱり鉄の枷を引きちぎる程の力はなく、逃げ出すこともできない。
 成長にあわせて枷も大きくなっていく。しかし大人まで成長したその大型獣は、その枷を破壊するだけのパワーを手に入れてしまうらしい。じゃあその大型獣をどうやって繋いでおくのか。
 答えは、同じようにサイズの合う鉄の枷をはめるだけでいい、のだそうだ。
 これをされたら何をしても逃げられない、敵わないと小さい頃から植えつけられた大型獣は、いつの日か逃げることを諦めてしまうらしい。
 だったら俺はどうだろうか。枷を引きちぎるだけの力を持っていて、そのことを自分自身が理解している。にもかかわらずこうして彼女の体温を甘受してしまっているのは、俺がその大型獣よりもあまりにも情けなくて、どうしようもなく不純な生き物だからだろう。チャレンジした結果諦めてしまった彼らよりよほど性質が悪いと言える。
 すり。
 投げ出したように力を抜いた俺の手。そこに、彼女の手が撫でるように伸びてくる。ぞくりとする。容赦なく手の甲を這いあがってくる。指の間に彼女の指が侵入してくる。思わず手を浮かせると、それを見計らったようにベッドとの間に滑り込まれて、掌が合わさる。また指の間に侵入してくる。逃げられない。そのまま優しく握り込まれる。この程度のことで、胸の鼓動が急かされていく。彼女の指がもぞもぞと蠢く。酷くいやらしい。それを早く抑え込みたくて、対策を考える。が、からかわれずに済む方法も思いつかず、観念したように俺もその手を握り返した。
 くす、と肩に寄りかかる彼女が笑った。それがあまりに嬉しそうで、俺は強烈なやるせなさに身を襲わる。いつもこうだ。方法が違うだけ。
 繋いだ手に俺はどこか安心してしまいながら、拒絶できない自分にも泣きそうになる。
 どうせ、拒絶する気なんかないくせに。
 
「式、挙げるんでしょ?」
 
 彼女の唐突な言葉に俺はびくりと震えた。彼女はわざとらしくため息をついて続ける。
「羨ましいなあ」
 その言葉が部屋の中のぼんやりと広がって、ゆっくり消えていく。嫌な静寂に冷や汗をかく。
 繋いだ手のせいで、気持ちをうまく逃がせない。元から、それが狙いだったのかもしれない。この話から逃げないでね、なんてことを暗に言われている気がして、俺は思い浮かんだいくつかの誤魔化す言葉をあえなく放棄した。
「……どこで聞いたの、そんなこと」
 彼女の言葉の真意もつかめないまま、俺は時間稼ぎのように曖昧な返事をする。別にこれで話題を逸らせるだなんて微塵も考えていない。ただ、あまりに当然のように肯定してしまったら、彼女が繋いだ手をあっけなく離して、どこかへ行ってしまいそうな気がした。
「わたしがキミのことで知らないことなんて、あると思ってるのー?」
 力の抜けたような声で彼女は言う。俺は何も言い返せない。
 普段は俺の近況なんて、俺の事情なんて何も考えずに、好き勝手するくせに。
 今日の彼女はやはりどこか違う。そして俺自身も、普通ではいられないのだろう。すべては今日という日が悪い。俺はそう感じる。
「……別に、すぐってわけじゃないけど」
 俺は言い訳のつもりなのかもわからない言葉を返す。
「いつごろ?」
「まだ決まってない。そういう話が出てるだけ」
「そうなんだ」
「うん」
 淡々と会話が続いていく。
 彼女と下品でない内容で語りあうのはもういつ以来になるだろうか。それはきっと、今の仲間達と出会う前にまで遡らなければならないかもしれない。
 ひどく懐かしい感覚に襲われる。俺は思った以上に、何気なく過ぎていく彼女との時間に飢えていたのかもしれない。
「もうあの子とはシたんでしょ?」
 やっぱり下品だ。おれはがっかりしながらため息を吐いた。
「…………したよ」
「やっぱり、したんだ」
「した」
「どうだった? わたしより良かった?」
「……知らない」
「良かったんだ?」
「知らないっつってんだろ」
 ムキになる俺に、彼女がくすくす笑う。
 この会話に意味なんてあまりない。彼女は俺をからかえればそれでいいんだ。
 他人の性事情にまで踏み込んできやがって。だいたいなんだ、どっちがいいとか。こいつと僧侶でどっちが気持ちいいかなんて。
 そんなの、比べるまでも無い。
「へー、そっかー。したんだねー」
 彼女はなぜか感慨深そうにしている。お前は俺の姉か何かか。
 と、心の中で突っ込んだところで、思い当たる節があることに気付いて、俺は口に出すのをやめた。
 彼女が無意識か、指先を動かして俺の手を弄んでいる。くすぐったさと気持ちよさから本能的に手を逃がしたくなるが、いまこの玩具を彼女から取り上げてしまえば、次に何をおもちゃにされるかわかったものではない。
 しゅり。彼女の白くて長い指先。爪は少し長めだけれど、形は綺麗に切り揃えてある。彼女の手。絶妙な加減で肌を撫で、滑り、幾度も服の中に侵入してきた、大嫌いで大好きな手。
 俺は部屋の隅へと意識を外す。わずかな体重移動で、ベッドがぎぎいと鳴いた。このご老体には申し訳ないことをしている。いつかまたこの宿屋を訪れることがあれば、手を合わせよう。
「……そっかー」
 少し時間を置いて、彼女がつぶやく。弱弱しいその声は何らかの想いを含んでいるようにも感じられるのに、それがどんな感情なのかは、俺には読み取ることができない。
「……なんだよ」
「ううん」
 俺の肩にもたれかかったまま、彼女は小さく首を振る。
「『おねーちゃんはオレがまもるー! まおーなんかぶったおしてやるー!』とか言ってた子も、大きくなったなあなんて思って」
 ぐぶふ、と肺の中の空気が破裂したように飛び出す。繋いだ指先からチリチリと熱くなって、その熱は肩を上って顔を焼く。
「だ、誰がそんなこと言うか」
「言ったよー?」
「言わねえよ」
「言った」
「言ってない」
 オレは抗議するように、繋いだ手をベッドの上にぼんぼんと跳ねさせた。
 ああ、鬱陶しいことこの上ない。俺は間違いなくそれを言った。自分ですら覚えがあるのだからどうしようもない。
 えー? とからかうように彼女は笑っている。俺は彼女の不可避な精神攻撃に歯軋りする。
 自分も少しは大人になっただろうと思っていた。旅は順調、仲間への指示だってそれなりにできるようになった。酒だって飲める。
 でも、埋まらない。旅に出た頃から感じていた彼女という“大人”への距離は、その精神的距離は、追いかけても追いかけても一向に縮まる気配すらない。どれだけ体を鍛えても、どれだけ技を覚えても、いつまでたっても彼女の前では俺はお子様で、いくら喚いたところで人差し指でぴんと弾かれただけでかるく転がされてしまう。
 俺は心底うんざりしながら、さきほどの言葉を反芻する。

「……言わないよ」

「んー?」
 俺の顔を覗き込んでいた彼女が、少し目を細めた。
 小さい頃だったから、俺がガキだったからこそ言えたその言葉。
「絶対、言わない」
 俺は彼女の瞳を見つめ返す。彼女が笑みを消して、少しだけ目を見開いた。
 俺の真意は、伝わるだろうか。
 伝わらないほうがいいのかもしれない。いや、伝わったところで何があるわけでもない。あまりに直接的で遠回しなこの言葉は、すでに旬を過ぎていて、その意味を共有するにはいささか熟れ過ぎている。
「……ねえ」
 見詰め合ったまま、彼女が俺に問いかける。俺は「うん?」と返事をする。
「ちゅー、しよっか」
 彼女が小首をかしげる。その仕草があまりに可愛らしくて、俺は息を呑む。
 闇が深まる。その瞳が俺を縫い付ける。俺は呑まれまいとして、必死に声帯を震わせる。
「し、ない」
「うん」
 繋いだ手がぎゅっとなる。
 彼女のもう片方の手が俺の頬に触れた。
 
 
 
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 彼女の手を振り払う。どかした腕は蛇のように絡みついて手首を捕らえられる。彼女が身を乗り出す。繋いだ手が離れてくれない。俺は脚をたたんで身をよじり、自分の体を起こしにかかる。彼女がその隙に自ら指を離し、俺の肩を押して壁に抑え込んでくる。
 彼女の顔がすっと近づく。俺はそれでも無理やり身を起こそうとする。背中が壁に擦れる。生暖かい息がかかって、俺の唇によく知る感触が襲う。全身に甘い痺れが走る。俺は鼻から息を吐いて、離された手で彼女の肩を押し返す。唇がわずかに離れた。
 彼女の瞳が妖艶に光っている。こうなるともう止められない。押し返す腕を彼女は受け流すように体を逃がして、そのまま首筋に吸い付いていくる。唇が柔らかい。舌が熱い。喉が焼ける。情けなく息を吐いて、それでも彼女の肩を掴もうとするが、いつのまにかそちらも手首を抑えられている。勝てたためしがない。どれだけ防護の柵を立てたところで、彼女は液体のようにぬるりと俺の腕の中に入ってくる。
 そのまま俺の両腕が壁に押し付けられる。俺はなんとか立ち上がろうとする。彼女の舌の感触に体が震える。唇が這う。腕に力が入らない。
「ん、あんまり騒ぐと、人きちゃうかもよ?」
 行為からは想像できないほど穏やかに彼女がささやく。わかってる。そう言い返そうとする唇を、彼女の唇に挟まれる。薄い皮膚はその触感を余すことなく脳に伝える。その形を丁寧に丁寧に教え込まれる。滑るとき、擦れるとき、やわらかく圧を加えるとき。それがどんな感触なのか、どれだけ気持ちいいのか、どれだけ興奮するのか。彼女の唇を教えられてしまう。じっくりと入念に。
 もう知っている。十分に知っている。これがどれだけ気持ちいいのかも、どれだけ嬉しいのかも、俺が彼女をどれだけ好きなのかも。
 薄く開いた視界。彼女のまつげが見える。中腰のまま、支える足に力が入らなくなってくる。
 脳がやられる。口。彼女の唇。キス。
 背中が擦れる。重力に負けそうになる。慌てて踏ん張る。締りのない口に、彼女の唇が大きくかぶりついて、ぬるりとそれが侵入してくる。強烈に痺れる。
 熱い。ひどく熱い。また背中が擦れる。視界がぼやける。好き。好き。
 両腕が開放される。首と頭に腕を回されて、一気に深くなる。俺の舌が逃げられない。逃げられたことなんかない。彼女に食べられる。俺が食われる。落ちていく。落ちていく。
 尻に布団の感触。素肌がシーツに触れている。いつのまにか下を脱がされている。おかまいなしに彼女は俺の唇を舐る。自分の魅力の塊を、自分というオンナを押し付けてくる。好きで仕方ない。愛してる。俺は、彼女が好き。
 いつまでもされる。何度でも教育される。逆らえない。彼女のもの。腕が動かない。好き。好き。
 シーツの擦れる音。彼女が体勢を変えて、唇がふっと離れる。肺が酸素を欲しがる。
 ソレを指先でそっと捕まれる。俺は乾いた声を必死で抑える。彼女が容赦なくそこに顔を近づけてくる。期待に震える間もなく、それが咥え込まれる。
 酷く熱い彼女の口のナカ。知っている。すぐ出るのを知ってる。頭のなかがぐっちゃになって、それでももっとかき回されて。好きで好きでたまらなくて。
 俺のソレが飲み込まれていく。大好きな彼女の口が、そのナカが、密着して擦れる。腰が溶ける。俺の腰についてるソレが熱に包まれる。先端にぬるりとした感触。全体に這い回る。それは彼女の口。大好きなお姉ちゃんのくち。熱くて、腰のあたりで、下半身がなくなって、飛びそうで、なにもできなくて、ぬるぬるして、熱くて、熱くて。
 ああ。
「んふ」
 寸前で、彼女が口を離し、俺を見上げた。その視線だけでイきそうになる。
 俺の様子を眺めながら、彼女がくすりと笑う。
「抵抗しなよ、ばーか」
 そう言って、俺のモノを手のひら全体で覆い、勢いよく扱き始める。俺は泣き喚きそうになる。もう出る。絶対に出る。彼女に出させられる。
 出る、出る。彼女の口がもう一度近づいて、舌を伸ばす。
 先端を。
「――――――――――――――――ッ!!」
 出る。出て行く。呑まれて。飛んで。飛び散る。口の中に。放出してしまう。力が奪われる。奪われていく。わかってる。気持ちいい。気持ちいい。
 腰が痙攣する。全身が痺れる。好きでたまらない。姉ちゃん、ああ、姉ちゃん。
 長い絶頂。どくどくと吐き出していく。全部持っていってくれる。全部、姉ちゃんがもらってくれる。
 くすくすと彼女が笑う。それが嬉しくて、見蕩れる。頭が働かない。彼女が腰を上げて、俺の上を跨ぐ。ロングスカートが揺れる。懐かしい格好。出会った頃の彼女。俺の大好きなお姉ちゃん。
 彼女の指先がそれをたくし上げていく。太ももがあらわになる。彼女が腰をゆっくりと腰を落としていく。何度も見た光景。先端があてがわれて、体が震え、ようやく気付く。もう遅い。
 ああああああああああああああああああああああああああああ。
 飲み込まれる。彼女に飲み込まれる。イッたばかりのソレが、無数の突起に出迎えられて歓喜する。終わりが始まることを知らされる。
 唾液が漏れる。押し返せない彼女の体。止められない彼女の動き。俺はただすがりつく。彼女にすがりつく。大嫌いで、大好きで、憧れで、意地悪な彼女と、一つになる。繋がる。彼女にとってはただの搾精行為に過ぎないのかもしれない。あの日、何もわからないガキだった俺の前に現れたのはそれだけが目的だったのかもしれない。
 それでも一つになれる。今だけは彼女を感じていられる。抵抗なんかするはずがない。できるはずがない。
 彼女の中が蠢く。突起のひとつひとつが蕩けるほど優しく、それでいて容赦なく、俺のソコに絡みつく。吸い出すように、押し上げるように、あるいは撫で付けるように。俺はただ彼女の体に力なく抱きつき、額をつけて、顔を歪め、せめて声だけを必死で抑える。
 これが終われば彼女は出て行ってしまうんだ。いつもそうだ。
 一秒でも耐える。少しでも長く彼女とこうしていたい。だから、待って欲しいのに。もっと、もっと。
 指先、足の先、歯、こめかみ。体のいたるところに力を込める。けれど余計に陰茎は硬くなり、余計に愛されてしまう。
 彼女が俺を呼ぶ。視界に素肌が晒されていく。たくし上げられた服から、二つの柔らかい肉が零れ落ちる。俺は頭に血が上る。
 ほら、いつもみたいに。彼女が俺を促す。俺を抱き寄せる。これも知っている。すぐにイってしまう。だからいやだ。でも好き。好きで仕方ない。
 誘われるがままにむしゃぶりつく。彼女のおっぱい。息を抑えるのも忘れて、ひたすらにその柔肌に甘える。陰茎が悲鳴を上げる。脳がおっぱいに触れた場所から溶け出して、どろどろ流れていきそうだ。
 いやだ。いきたくない。おっぱい。ああ、姉ちゃん。大好き。
 胸の先端に吸い付く。口に含んだ瞬間、原初の感覚に包まれる。これは俺を守ってくれる人。自分を育ててくれる人。より敗北を感じられる。彼女にどれだけ虜になって、ダメにされて、負けているのかを、より理解できる。好き。
 ぐちゃぐちゃになって、とろとろにされて、もう出てしまう。
 出したくない。気持ちいい。もう無理。
 終わってしまう。今日が終わってしまったら。
 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ。
 彼女が抱きしめる腕をぎゅうと強める。
 彼女の中が一気に狭くなり、容赦なく一斉に襲い掛かってくる。
「―――――――――――――――――ッ!! ああ、あっ」
 終わっていく。彼女のナカに終わっていく。終焉をつきつけられる。
 体がひたすら震える。もらわれていく。ごくり、ごくりと飲まれていくたびに、別れが近づく。
 体が勝手に跳ねる。ひどく気持ちよくて、ひどく寂しい。
 ああ、だから、いやだったのに。
 これで。こんなんで。
 
 
 
 …………………………いやだ。
 
 俺は重たい頭をもたげて、彼女の顔を見上げる。
 よくわからない。見えない。彼女の表情は。想いは。
 にちゅ。
 彼女が体を持ち上げるのを感じる。俺のモノが彼女から抜け掛かる。
 いやだ。
 まともに動かない腕を彼女に体に回す。絞め殺すくらいのつもりで、俺は彼女を引き止める。彼女がバランスを崩して、腰を降ろす。そのわずかな刺激だけで仰け反りそうになる。それでも緩めない。
 いま、この手を離してしまったら。
「……離して」
「……いやだ」
 その声からも、感情は読み取れない。
 それでも俺は持てる力を全て注いで、彼女に伝える。
 俺はいい。俺はもう、これでいい。
 伝わって欲しい。伝われ。伝われ。
 ガキみたいな俺の、馬鹿みたいに格好悪い、一世一代の告白。
「離して、ってば」
「……抵抗、してみろよ」
 キツく抱きしめる。恐らくは叶わない願いに、それでも俺はすがりつく。でなければ後悔する。絶対に後悔する。
「……っ!」
 彼女のナカが一際強く締り、俺のモノをまた捕らえた。
「っ!? ……いっ!!」
 肉がえぐれるかと思うほどの力で、彼女が俺の肩に噛み付いた。あまりの痛みに拘束が緩む。その隙に彼女はソレを抜いて、俺から距離をとってしまう。ああ。
 彼女が自分の体を抱きしめるようにしながら、数秒立ちすくむ。その表情は、やっぱり見えない。
「……ばーか」
 それだけ言い残して、彼女は窓を開く。俺が身を起こすよりはやく、彼女は外の闇に身を投じた。
 俺はベッドから転げ落ち、肩を押さえ、這うようにしながらそこにたどり着き、薄い月明かりの中に彼女の影を探す。どこにもいない。それでも目を凝らす。いない、いない。
 ひどい脱力感に襲われる。背中を窓の近くに預けて、ずるずると座り込む。
 震える息を吐く。呆けたように口を開いたまま、顔を天井に向ける。何も見えなかった。
 そこには、暗闇しかなかった。
 
 
 
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「……ばーか」
 わたしは、街外れの民家の屋根に腰掛けたままつぶやいた。
 ときどき吹き抜ける強い風は火照った体には心地いい。雲ひとつ無い夜空。月が綺麗。おかげで今夜は魔力の扱いがとても楽だ。
 街の外壁に目を向ける。壁の上からは薄い蒸気のようなものが絶え間なく立ち上っている。神聖な術式によるもので、嘘か本当か高度限界はないらしい。守ることのみに特化した強力な結界。ちなみにわたしみたいなのがアレに触れると火傷じゃ済まない傷を負うことになる。なんともご苦労なことだと思う。
 背中とおしりがスースーする。思わず羽と尻尾を出したときに破けてしまったようだ。普段はこんなに体を覆う衣装なんて着ないせいで、少しだけ肌を露出している部分があると逆に気になってしまう。
「はあ……」
 何度目かもわからないため息を吐く。良い夜ではあるけれど、だからといって良い気分であるとは限らない。むしろさっきから胸の中がじくじくして気持ち悪いくらいだ。別にこの街の結界から出られなくて困っているわけではない。戦闘能力には自信はないけれど、どうせ門を守っているのは男ばかりだ。わたしだけならどうとでもなる。
 無言で膝を抱える。際どかったなあと、自分でも思う。
「いっちょまえにオトコ見せちゃってさあ」
 わたしを抱く腕は太くて、力強かった。いまだに感触が残っている。いつのまにあんな表情ができるようになっていたんだろう。いや、記憶をたどれば、ここぞというときはいつもあんな目をしていた気がする。
 自分の知らぬ間に成長していく男の子に、少しだけ寂しい気持ちになる。ファーストキスも、精通もえっちも、あの子の“初めて”は全部わたしが奪ったっていうのに。あの子の成長をいつも近くで見ていて、それこそ、肌で感じていたのもわたしだったのに。
 初めてキスしたときの真っ赤な顔を思い出す。精通したときの泣き顔を思い出す。えっちしたときの怯えた顔を思い出す。初めてわたし以外の仲間が加わることになった、その前の日の夜、サキュバスだと打ち明けて出ていったときの絶望に歪んだ顔を思い出す。あんなにちっこいのが、いつのまにか男になって、きっといつか、髭をこさえた渋いおっさんになるのだろう。それもそれでわたし好みかもしれない。残念。
「はあ……」
 漏れ出す感情はとめどない。
 でも仕方が無い。武器を手に襲い掛かってくる人間の男共ならいざ知らず、簡単に手首を捻れるような純な子供の相手をわたしに任せたのがそもそもの間違いだ。
 勇者が生まれたというお告げから、旅立ちのその日まで、数年にも及ぶ裏での活動は骨が折れた。けれど、勇者の成長を遠巻きに監視している兵士達も、結局は人間のオスだ。時間をじっくりかければ難しいことではなかった。
 勇者というその責を負わせられた男の子。その子に近づく過程は、わたしにとっていつしか楽しさに変わっていた。それがいけなかった。。
 いつでも手が下せる位置に居たわたしが、いろいろな理由をくっつけて引き伸ばして引き伸ばして引き伸ばして、ついに猶予がゼロになって、今日まできてしまった。それだけの話。
 だからこれは罰だ。あの子と一緒にいる時間を望んでしまった、わたしへの罰。
「……っ」
 自分の体を抱く。あの子の温もりが消えていく。
 いっそ、その力を全て吸い尽くしてしまえば、あの子の旅は中断することになるだろう。そうでなければ、全部投げ捨てて二人で遠くへ行ってしまえればよかった。そんなこと、一体いままでに何回考えただろう。その度に何回思いとどまっただろう。すべては今更だ。
「ほんとに、ばか、なんだから」
 さっきのあの子は、それを良しとしやがった。わたしが耐えて耐えて耐えて封印してきた想いを、それでもいいよと抜かしたんだ。ばかなんだ、本当に。
 せっかく結婚相手もできたみたいなのに、いまでもあの子の中は、わたしだけなんだ。
 鼻の奥がツンとなる。風が冷たいからに違いない。
 
 足音が聞こえる。特徴があるから、すぐにわかる。
「……ばーか」
 もう何度目かわからないそれを、気付かれないように口の中でつぶやく。足音の主は門を抜けて、街の外へと暗闇の中を走っていく。
 あの子がわたしとえっちしちゃった夜の、いつもの光景だった。
 朝が来るまでに必死で魔物を倒して、力を奪われたことを仲間に気付かれないようにしている小心者だ。半べそかきながら、ひとり魔物と戦う姿はあまりにも情けなくて、そしてあまりにも可愛いかった。そんなになるくらいなら、抵抗すればいいのにとも思うけれど、どうせできないこともわかっている。
 わかっているからこそ、わたしはいつもすれすれになる。際の際だ。あの子の気持ちに甘えて、あの子の全てを奪ってしまいそうになるんだ。
 それこそ、さっきは。
「――――――――――ッ! ――――ッ!!」
 遠くから獣のような叫び声が聴こえる。距離からして、わたしの耳でなければ捕らえられないだろう。
 あの馬鹿が、泣いてる。泣き叫びながら、必死で戦っている。
「ばか、だなあ」
 ずず。わたしは鼻を鳴らす。風が冷たいからに、違いない。
 わたしは力なく微笑む。ここら一体の魔物は、そう易々と戦えるようなものではない。それこそ、ひとりで戦うともなれば、とんでもない実力が必要になるだろう。
「魔王様、負けちゃうよ、これ」
 ここにはいない自らの産みの親に、わたしは小さくつぶやく。
 十分に育った勇者とその仲間を、最後の最後で絶望に突き落とす。そんな建前で出てきたわたしは、もう魔王城に戻ることもできない。
 結局わたしは、深入りしすぎたのだ。
「ばか、だなあ、わたしも」
 知らないうちに大きくなって、そしてこれからも成長していくであろう大好きな男の子を、わたしはいつまでも眺めていた。
 
 
 
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「がああああああああああああああ!!」
 振りかぶる腕を斬り落とす。その胴体に深く突き刺す。
 夜の魔物は活発だ。倒しても倒しても沸いてくる。
 その方が助かる。そうでなければ、俺はこの感情をどこにぶつけていいかもわからない。
「っあああああ!!」
 水気のたまった目では前が良く見えない。拭っても拭っても溢れてくるのだから仕方がない。
 ああ、ちくしょう。
「んぐっ、っつあああああ!!」
 姉ちゃん、姉ちゃん。
 体はしっかり動くのに、これだけ熱を帯びてるのに、心の中に何もない。寂しくて寂しくて、底冷えしすぎて、いつか俺自身が凍り付いてしまうかもしれない。
 どうしたって、だめなんだ。
 その現実を振り払いたくて、とにかく剣を振るう。
 優しくて、意地悪だったお姉ちゃんは、結局、最後の最後まで俺のよく知る姉ちゃんのままで。
「ぬぐううう、うあああああああ!!」
 目の前の敵を倒す。それだけ。ただそれだけに集中しなければ、潰れてしまいそうだ。
 
 自分は、魔王から直接生まれた存在だと、彼女は言っていた。正確には、魔王の魔力が具現化されて生み出されたものだと、語っていた。
 あのとき、あの夜に姉ちゃんが俺の質問に答えなかったのは、彼女が優しいからに違いなかった。
 俺がその先を聞いてしまったら、きっと魔王を倒せなくなってしまうかもしれない。と、彼女がそう感じたからに違いなかった。
「うあああああああああああああああああ!!」
 朝が来れば、この日のために準備を重ねた俺たちは出発する。

 魔王の城は、もう目の前。
 
 
 
 
 
 
 

 書いたもの

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 プレイ内容(ネタバレ含む)


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