きみに手を出すまで
「…………」
「…………」
たしかに。
たしかにたしかに。
このご時勢だ。
間違いなく歴史の特異点となったとされる『現世神象』。それから数十年たったいまでも、テレビの中のアナウンサーの下半身が大蛇の姿であればそれを見ている年寄りは目を剥くし、通勤電車の男性のスーツの下から昆虫のような足が何本も出ていれば奇異の目に晒される。
生まれたときからそんな存在が世界にありふれていたせいか、俺は何の疑問もない。けれど、親や祖母の世代はまさにその転換期を経験した人たちで、その価値観が子供だった俺に何の影響も与えていないかと聞かれると、自信を持って大丈夫だと言うことはできない。
つまるところ親がゴキブリにビビれば俺もやっぱりビビるわけで。
異種族への偏見をなくそう! とモラリストよろしく声高々に叫ばれる現代でも、もともとこの世界を席巻していたらしい俺たち人間種の根深い部分はそう簡単に変えられるものでもなく。
こうして今も、“彼女”は皆から無視されている。
「…………」
「…………」
どんよりとした雨曇りの灰色の世界で、澄んだ青空のような瞳が俺を見つめている。
上品でシックな色合いの髪は長く、前髪は雨に張り付く。虚ろげな表情に、顔立ちは幼くも整っていて、日本人離れしているように感じる。年齢でいえば小学校に上がりたてくらいだろうか。
迷子。ではないだろう。
俺が親ならばこんなに可愛い子を素っ裸で外に出したりはしない。
無言で見つめあう道端。いまも俺の横を人々の足音が通り過ぎていく。
誰もかれも、雨の中、裸で立ちすくむ幼女に目もくれない。それこそ事案だとか、関わり合いになりたくないだとか。そういった意味での“知らないフリ”とするにも違和感を覚えてしまうほどに、彼らは彼女を見ない。
たしかにたしかに。このご時勢だ。人外種とのトラブルなんて後を絶たない。関わらないに越したことはないと考える人もいる。にしてもだ。
俺は前方から歩いてくる男性を盗み見る。
疲れと義務感をそれなりに隠し、無心で仕事場へ自分の体を運んでいく様はどう見ても彼の慣れきった日常でしかなく、そこに驚きや戸惑いのようなものは見られない。
わざと目を逸らしているわけでもない。知らないフリをしているわけでもない。
彼女を見ていない。
まるでそこには何もないアスファルトが広がっているかのように、誰一人として彼女の存在を認知していないように思えた。
だから、だろう。
俺が彼女を、やっぱり人間じゃないと感じたのは。
上から下までほくろもシミもない、白い素肌。二つの桜色の蕾の間。ふくらみのない平らな胸を雨粒が流れていく。まるで窓を伝う雫のように、それはまた別の水滴と交わり、大きくなってこぼれて、おへそから、さらに産毛ひとつ見当たらない股間へ伝う。
しとしととした雨の中。日常が流れ続ける舗装された道の端。無言で俺を見上げる裸の幼女。
なぜ自分がこんなに落ち着いていられるのかはわからないし、彼女がなぜこんな姿で、ここに佇んでいるのかもわからない。
わからないけれど、俺は気づけばスーパーの買い物袋を濡れた地面に置き、開いたままの傘も置いて、パーカーを脱いでいた。
薄い灰色のパーカー。肩の部分を両手でつかんで開き、彼女の背中からかける。彼女は抵抗することもなくそれを受け入れ、いや、何をされているのかもわからないように、ただ虚ろな表情にわずかな疑問を浮かべ、俺を見つめていた。
服の着方すらわからないのだろうか。微動だにしない。
仕方なく脇に手を差し込み、腕をとる。
ぷにぷにとした二の腕に、ひときわ強い脈動を感じた。
「…………え?」
周囲の空気がざわりとした。
見渡した先の、俺と彼女を見る、周囲の目。目。
まるで初めて彼女がそこにいることに全員が気づいたかのように、パーカーを羽織っただけの裸の女の子が次々に人の目を縫いとめる。
やばい。
と反射的に感じた俺は、彼女の腕を袖に通すことを即座に諦める。もたつく手でファスナーの金具を付け、勢いのままに上まで引っ張り閉じる。
ぶかぶかのパーカーで簀巻きのようになってしまった彼女の手を引こうとするけれど、その手はすでにファスナーの中で、足を止めて俺たちを眺める人までいて、頭の中は通報と犯罪の二文字しかなくて、乱暴に取り合げた傘と、無我夢中で片腕に抱き上げた小さな体は驚くほど軽く、何の抵抗もなく、すぐさまそこから立ち去ろうとした俺を貧乏性な一面が一瞬縫いとめ、走り出しかけた体勢からどうにかスーパーの袋まで拾い上げて。
無様に走る。走る。小走る。小走るってなんだ。
「はあ、はあ」
感じるのは熱い喉と、運動不足の体の悲鳴と。
彼女の体重と、体温と。
針のムシロのような、視線、視線、視線。
歩きでいける最寄のスーパーからの帰り。
当然、アパートは遠くない。
* * *
ガチャン。
かちゃ、かちゃん。
「……っはあ、はあ、は」
無駄に靴の多い玄関。先に彼女を降ろす。
パーカーの下に来ていたティーシャツの、その胸のあたりを両手で引っ張り、顔全体を拭う。だらりと弛緩する体。けれど耳と心臓だけはいまもよく働いていて、遠くにパトカーのサイレンの音なんかが聴こえないかと、毎秒、全神経を注いでいた。
玄関の外にほっぽった荷物を思い出し、ドアを開ける前に彼女をさらに奥の部屋へと抱いて運んでから、もう一度鍵を開け、恐る恐る外を確認して、乱雑に置かれたスーパーの袋と開いたままの傘を回収した。
閉じた傘を立てかける。
すぐさま一番の問題に取り掛からなければならない。そう思いながら、俺はスーパーで買ったサラダ油と、野菜と、ノリで買った鷹の爪なんかを冷蔵庫などにしまう。そのまましばらく立ち尽くして、そういえば油は外だったと冷蔵庫から取り出す。
いますぐ現実に向き合うほど気持ちの整理は付いていないし、普段どおりの生活を送るには手元がおぼつかない。とりあえず。たぶん。そこの戸を開ければまだそこに彼女はいて、それは俺が道でさらって来てしまった女の子で、一体全体、俺は何をしているのかという話で。
たぶん、頭はどうかしていて。
なんならアニメやラノベの読みすぎで。
ダンボールに捨てられていた獣耳の女の子を拾って育てる、そんなおとぎ話の主人公にでもなる気でこんなことをしでかしたのか。
――――家に届けよう。
誘拐犯は一分で足を洗うことを決意する。
2Kの一人暮らし。俺は彼女を押し込んだ部屋の戸をあける。
そこに、やはり彼女はいた。当たり前だ。
緊張している様子も、おびえた様子もない。何を構えるでもなく、ただただ、出会ったときのままのような自然体で俺を見上げていた。乱暴に上げたファスナーは中途半端に止まっていて、インナーも着ていないことからずいぶんとアブノーマルな見た目に仕上がっている。
……可愛い。
それはもう。本当に。
幼さに見合わない長いまつげがよりいっそう青空のような瞳を際立たせる。けれど顔を造る部位だけを見ればやっぱりほわほわとした丸みを帯びていて、印象は年相応にも映る。完成していないことが少女の魅力だとすれば、ある意味で彼女は完成しているとも言える。
なんて、変態チックな総評をひとつ。
いや、とさらに鼻で笑う。
自分の趣味なんて分かりきっているのに、何を言い訳がましいことを。
俺はだから、“そう”なのだろう。
「おうち、わかる?」
俺はその場にしゃがみ、尋ねる。
「じぶんおうち。かえるいえ。きみのおかあさんがいるところ」
「…………?」
女の子は無言で首をかしげる。
そんな何気ない仕草に、ひどく胸が締め付けられる。
両腕がわなないて、いますぐにでも、彼女を腕に抱きとめろと、体が脳に逆命令を出しているかのようだった。
いっそ怒りに代わりそうなほどの、殺人的な可愛らしさ。
「おなまえは?」
「…………?」
「……、なまえ、わかる? じぶんのなまえ」
「………………」
お地蔵さんを相手にしているのだろうか。
こんな地蔵が立ち並んでいたら寂れた地方の観光業も日本一に輝くだろう。
「えーっと」
とりあえず交番、が正しいはずだ。
最近は人外種に関する相談所もちらほら見かけるから、そっちでもいいかもしれない。彼女が本当に人外種であればの話ではあるが。
「……先にお湯浴びたほうがいいかな?」
まだ彼女の毛先からは雨の雫が垂れている。
だから。まあ。これは。下心とかではなくて。交番に連れて行くにしても、すぐに親御さんのもとに彼女が帰るのだとしても、風邪を引かせてしまったのでは心象が悪いはずなのでまずはお風呂に入れてあげたほうがいいに違いないという考えで合っていますか?
「おふろ、はいろっか」
俺の言葉を理解しているのかもわからない彼女が、こくんと頷いた。
じゃあああああああああ。
「…………」
「…………」
シャワーから湯気が立ち上る。
やはりというか、なんというか。一通りの説明をしても彼女は俺を見つめたまま、うんともすんとも動こうとしない。
はあと俺はため息をひとつ。なんとなく後回しにしていた彼女のパーカーを、俺は罪悪感とともに脱がせていく。
中にしまわれていた、ぷにぷにの二の腕。
桜色の胸の突起と、視線を向けることもためらわれる割れ目のスジ。
「…………」
学生時代にいた友人が、スク水フェチの変態野郎だった。
そいつはプールの時期が来ると知って、同級生の女子が全員スク水姿になることを想像して、「俺はどうなってしまうかわからない」などという意味不明なことを真剣に語っていた。そして実際にプール開きとなり、水泳の授業になり、そいつがそのときに言ったことは、「本当にソレが目の前にあると、なんだかもう、意外と興奮しないというか、逆にどうしていいかわらない」というなんとも頭の悪い感想だった。別の友人と一緒に腹を抱えて笑ったのを覚えている。
そんなことを、俺はちょうどいま思い出していた。
「頭からかけるよー」
俺はズボンのすそをめくり上げ、シャワーヘッドを手に取る。
温度は適温より少しぬるめ、だと思う。彼女が雪女などでなければ。
少しだけ怖くなって、俺は彼女の肩に軽く触れる。しっとりした肌と、人の体温。あの、道で触れたときのような大きな脈動のようなものは感じられなかったけれど、そこには確かに生命の温かさが宿っている。
裸の少女。幼女。
創作物の向こう側にいたような存在に触れるていること。お風呂場の熱か、あるいは体温か。胸の高鳴りに比例するように、自戒の念のようなものがズキズキと肺を刺す。
女の子がぱちぱちと長いまつげを瞬かせる。
いままでにない反応に、けれどそれ以上の表情の変化も見られないため、俺はそのまま彼女の肩を軽く引いて背中を向かせる。
小さな肩。小ぶりなおしり。
いかんいかん、と思いながら、俺はそっとシャワーのお湯を彼女にかける。肩から全身に、そして耳に入らないように、ゆっくりと頭へ。
腰まで届きそうな長い髪。すべてにお湯が行き渡るように、満遍なく。
目に入らないように注意しながらシャンプーを終える。心配になるほど、俺のやることなすことに彼女は動じない。なんなら、抱きしめてそのつるつるのお腹にキスをしたって、彼女は顔色ひとつ変えなそうだ。
そう、本当に、何をしても。
「……っ」
うずりと、邪心。
とりあえずいまは引っ込んでおけ。
脇のハンガーからボディタオルを引っ張る。素材は綿。ソープでもくもくと泡立てる。
幼い肌はハスの葉のように水を弾く。水滴は滑らかに流れてぷりっとしたおしりまで。
もくもくと泡立てる。粛々と泡立てる。生命力いっぱいの後姿をついつい眺めながら、ただただ綿と綿をこすり合わせる。ぎゅうとにぎって泡を出す。
ぎゅぱ。きゅぱきゅぱ。
とりあえず、全部飲み込む。
もちろん泡ではなく、頭の中のぐちゃぐちゃを。
「…………」
うるせえ俺。
体を洗うだけだ。
くびれのない腰にボディタオルをひたり。わずかな反応。
幼い子のデリケートな肌だ。弱酸性がどうのこうのの。
擦りはしない。塗り広げるだけのような力加減で、おれは丹念すぎるほどに生成した泡をまぶしていく。僭越ながら髪を持ち上げて背中から肩。ぷにぷにの腕を取り、少し浮かせてわきまで。もういちど腰に降りて、湧き上がるあーだこーだを飲み込んで、おしりも。
「…………っ」
縫い目の細かな、タオル一枚ごしのおしり。
血液が騒ぎ出す前に通り過ぎる。
まだまだ短い脚。太ももの裏側、ひざの裏、ふくらはぎ。どこもかしこもつるつるの、ぷにぷにのやわやわで眩暈がしそうになる。おしりを通り過ぎたからなんだ。ぜんぶがぜんぶ、ぜんぶだ。もう全部、全部だ。はあ。イライラする。
なんだこの生き物はと、泡も気にせず眉間をつまむ。
俺はまだ泡の残るボディタオルを手に、立ち上がる。
上から見下ろす、凹凸の少ない絶景。
「洗うよ」
意を決した言葉は、およそ数分前に言うべき言葉。
いまさら口から出た理由はいうまでもない。
胸。
タオルで泡をやさしく広げる。同時に唇を噛む。布一枚向こう側に小さな感触が通り過ぎたから。だから。頭がイかれそうになる。
「……?」
なぜか少女は俺を見上げる。
出会ったときにように前髪の張り付いた顔。ぼんやりとした蒼い瞳はさっきまで以上に力なく、とろりと溶けそうになっている。邪気のなさ過ぎる表情が無数のナイフになって、体の内側をざくざくと刺してくる。
「……ハァ、ハァ」
満遍なく、胸。胸。往復する手のひらの感触。
無意識に飲み込んだのは大量の唾液。
少女が瞬きをする。湯に火照るほっぺと、眠そうにも見える目蓋。
眠いんだろうきっと。
そう雑に切り捨てて、俺はようやく彼女の胸から下へとボディタオルを撫で下ろす。た、は。と息を漏らしたのは俺。いつから呼吸を止めていたのか。
だめだ。
パーカーを脱がせるまでは大丈夫だったのに。
「…………」
「なに?」
俺を見つめ続ける少女の瞳に問いかける。俺からは見ないまま、まるで誤魔化すように、あるいは責めるように。そこに意味はない。ただ少しでも許されたいだけ。
「ハァ」
つるつるのおなか。すぐに下って。
目的が、変わってきているのが自分でもわかるのに。
思わず避けるように右の足の付け根。太ももから下へ撫でるように。左も同じように。
洗うなら。全部。
だよな。
「ハァ、ハァ」
なんて。
思いながら。
何かを問うように、俺は俺を見上げる彼女を見る。
ほやほやした幼顔。上気したまるいほっぺ。
「……ッ」
そして、とろっとろに溶けそうな瞳。
眠気でない何かを、俺の中のオスが本能的に嗅ぎ取る。嗅ぎ取った、ことにしたかったのかもしれない。
「洗う、ね」
お風呂場の熱にうなされながら。
タオル越しのワレメに向かうのは指先。
彼女の、一番大事な。
ああ。
――――――――――。
「…………」
「……、あ。え」
気づけば彼女の体はこちらに向いていて。俺のティーシャツも泡だらけになっていて。
小さな両手が俺の服をひしっと掴んでいて。
けれど、まだその溶けそうな瞳はかろうじて俺を見上げていて。
右手に。
中途半端にボディタオルを持ったまま。俺はいまの理解に努める。
歳が歳ならば、まるで求愛行動のようにすらとれる彼女の態度に。さきほどまで大人しかった彼女の動きに。
唐突に、俺が思いのままに彼女に貪りつくビジョンが。
決して健全でなく、性的に求める未来が脳内を駆け巡って。
ゆえに。
逆に。
冷静さを取り戻した俺はボディタオルを適当に放って、シャワーヘッドを手に取った。
「……目ぇ閉じてて」
ぼーっとしていた彼女は、けれどちゃんと俺の言葉を理解しているようで、俺を見上げたままそっと目を閉じた。しまった、と思ったときには、幼い彼女が俺からのキスを待つような状態が出来上がってしまい、口の中にまだ残っていた唾液をむりやり飲み干した。
見上げたままの後頭部に手をあてて、前を向かせる。
つんと飛び出た口のすぐ近くで、自分の盛り上がったズボンが目に入り、変な笑い声が飛び出そうになる。
なにもかも地雷。何をさせても天使。且つ人生最大の危機。
ぐっちゃぐちゃになった感情に回路がショートして、目の前が一瞬暗く感じる。立ち上る湯気もかまわず深呼吸して、おでこのあたりからシャワーのお湯をかけていく。自分の服が濡れるのもかまわずに、幼い肢体を泡が流れ落ちていくのを眺める。
いえす。ろりーた。
のーたっち。
俺は果たして同胞達に許されるか、はたまたミニガンで蜂の巣にされるか。
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