夢を見ていた。ひどく懐かしい夢だった。

 練習の成果を少し緊張しながらじいさんに見せる俺がいる。じいさんがゆるやかな微笑を浮かべて、静かにそれを眺めている。何度も繰り返した足のさばき方、腕や指それぞれに力を入れる順番、タイミング。試行を重ねるたびに少しずつ具合の良くなってきたそれをじいさんに見せる。
 じいさんの目尻に深いしわが刻まれる。俺はじいさんの笑った顔が大好きだった。じいさんを笑わせるために、意味があるのかすらわからない動きを、何度も何度も練習した。じいさんを笑顔にするために生きていた。
 親が病に倒れ、遠い親戚の家に引き取られた俺に、安らぐ時間はなかった。意地の悪い目、蔑んだような目、失望したような目。そんな目という目を和らげることだけに集中し、ほぼ他人同然の相手をどうにか怒らせないようにそれは終始していた。どうすればモノを投げつけられないのか、どうすれば晩の食事にありつけるのか。十もいかない少年がそのような境遇に置かれたのは、仕方ないといえば仕方なかったのかもしれない。
 近所のじいさんはその偏屈さからか、周囲からかなり疎まれているように思えた。しかし、自分をまともに人として接してくれるのはじいさんだけだった。どうして俺を気に入ってくれたのかはわからない。しかし俺は隙を見つけてはじいさんの所へ遊びに行った。
 じいさんは遊びと称して、いろいろなことを教えてくれた。「そのうち上手くなる」と言われたことを、次の日にでも完璧にこなしたいと思った。帰れば目を盗んで、それを反復した。その結果を見せれば、じいさんは驚いたように笑った。それが好きだった。じいさんはさらに難解な遊びを教えてくれるようになった。
 昔、魔王の喉元にただ一人迫った勇者が、そのじいさんだと知ったのは、すでにじいさんが死んでしまった後だった。
 俺は体中の水分が無くなるほど泣いた。じいさんの家の庭でひとり死んだように突っ立っていると、昔なじみだったという老人が尋ねてきた。あごには白いひげをたっぷりこしらえていた。じいさんが死んだことを聞くと大層悲しんで、しばらくしてから、俺にじいさんの話を聞かせてくれた。
 俺は初めて知った。遊びと称されたそれは、じいさんのもてる全ての技量を、俺に託したのだと。十六になった俺は、気付けば剣術体術を相当のものにし、いくつかの自己強化の魔法を詠唱なしで発動し、陣を必要とする転移の魔法を言葉ひとつで実行できるにまでになっていた。それがすごいことだとは思わなかった。ただ遊んでいただけだ。飽きもせずに同じことを繰り返し繰り返し練習をしていただけだ。じいさんを笑わせるために必死だっただけだ。
 俺は煩わしい親戚を断り、家を出た。いざ出るとなれば名残惜しそうにされたのは、俺の人を懐柔する技量も上がったのではないかと疑った。なんにせよ一人になりたかった。もう気を遣う生き方はまっぴらだった。そうして俺は旅に出た。


『しー…』
 目を覚ませば、蒼い瞳が俺を見ていた。
「……! ……っ!」
 慌てて口を開閉するが、寸でのところで発声は免れた。リリは俺を落ち着かせるためか、人差し指を口元に当てたままじっとしている。とりあえず魔物の類ではない。悪魔の類だ。
『隣に聴こえちゃうから、静かに』
 ハスキーがかった幼い声は、ひそひそと話すことでより一層くすぐったい。
 確かに賢者ふたりの居る隣の部屋とは、音を遮断するにはあまりに心もとない壁一枚だ。下手に動けない。そもそもあのふたりはもう寝ているのだろうか。というか今何時だ。リリは何しにここに来た。外で過ごすんじゃないのか。忘れ物でも取りにきたのか。
『静かに、ね?』
 念を押される。俺は無言で小さく頷いた。
 果たして何の用なのか。そもそもどうやってここまで来たのだろう。窓が開いているということは、そこが侵入経路と見て間違いなさそうだ。頭を上げ、部屋全体を見やる。月明かりに光る窓際のほかは、その反射光が薄く広がり、暗闇をほんの少し藍色に染めている。
 ドアの施錠はされている。窓は閉め忘れたか。
『……どうした?』
 俺も声帯を震わせないよう注意を払う。周りに気付かれてはいけない緊張からか、内緒の話をしているからか、鼓動が早まっているのを感じる。
『うん、やっぱり寂しいから、おにいちゃんと一緒に寝たいなあって』
『おい』
 リリが声を殺して笑い、俺にその肢体を密着させてくる。柔肌が温かい。一応は止めようと差し出した両手が、リリの素肌をすべり、しゅるりと音を立てた。
『お、おま、服』
『へへえ、寝る時は下着しかつけないんだー。ねえ、一緒に寝てもいい?」
 俺は肌に触れてしまったことにたじろぎ、その隙にリリがもそりと侵攻し、密着する体の面積を増やしにかかる。柔らかい二つの膨らみが形を変えながら、俺の上を這う。下着と言うのもそれこそ“下”しか着けていないらしい。
『お、い』
 むやみに掴みかかることもできず、ついにはリリの柔らかい体が余すことなく俺の体に上陸を果たし、落ち着いてしまう。まるで大きな猫のようだ。
 沈むベッドの上。閉じ込められたような布団の中。リリの甘い香りが充満していく。女性を十分に感じさせる柔らかな双丘と腰、それを包むすべすべの白い肌ごと押し付けられる。
『だめ?』
 かと思えば、邪な衝動にかられそうなほど愛らしい顔立ちでもって、上手に甘えてくる。俺の頭が『ダメ』という言葉を見失う。
『おにーちゃん?』
 不安げに覗き込みながら、胸に乗せた顔を少し傾ける。眉を隠す程度の前髪がさらりと揺れた。ざわつく胸を掻きむしりたくなる。
 悪魔と一緒に寝るだとか、裸同然の女の子を布団に入れるだとか、その年齢がどうだとか、倫理的にイケナイと判断するべき頭が腐りだしている。リリが可愛くてどうにもならない。
『まあ、いいけどさ……』
 それが口をついて出てしまったのは、あまりの可愛さに押し切られたのかそれとも下心か。
 リリが瞳を輝かせたあと、喜びに口元を綻ばせた。ふにゃっとした表情が愛くるしい。嬉しさをめいっぱいに表現するリリは、どうしたって笑顔にさせたくなってしまう。
 耳をくすぐるような笑い声。満足したように体を弛緩させて『やっぱりお兄ちゃんは優しいね』と言った。俺はなんとなく直視できず、窓の方へと顔を背けた。
 流されるように同衾を許してしまったが、はたと立ち止まる。リリが街の外まで出たとしたのであれば、どうやって入ってきたのだろう。そもそも外までは出ずに、宿の近くに潜んでいたのだろうか。こんなにチームの利用が多い宿の近くに?
 旅の野宿と違って、街の宿はある程度安心できる。俺ですらリリの接近に気付けなかったくらいだから、みんな気を抜いているのだろうが、それにしたって一人も騒がないのはやはりおかしい。神経質なチームは宿ですら交代で眠っていると聞く。まあ、それだけ夜は恐いということでもあるが。
 リリには何か、気配を隠す術があるのだろうか。
『あ、窓閉め忘れちゃった』
 俺の視線を追ったのか、リリが布団を這い出て窓と鍵をそっと閉める。ショーツだけの少女の後姿は美しく女性の形をかたどっている。月明かりに青白くなめらかな曲線を描く素肌。その佇まいは、歳に似合わず恐ろしく妖艶だった。振り向く瞬間に弾む胸元に視線が吸い込まれ、慌てて目を逸らす。
 リリがまたベッドへ近づいてくる。今見たカラダが、俺に絡み付いてくることを考えるといたたまれない。
『と、とりあえず、服は着ような』
 リリが『えー……』と不満そうな声を上げた。俺としては不特定多数のチームから身を隠すより先に、まず身体を隠して欲しい。
 ごそ、もぞ。
『おい』
『えへへへ、いいでしょ?』
 そのまま侵入してくる。なんとか寝返りで距離を取ろうとしたところを捕まえられ、リリの魅力的で柔らかい肢体は俺の上に落ち着いてしまう。無視のしようのない感触に、下の方へ血が集まりだすのを感じる。よくない。非常に。
『だめだって』
『なんでー?』
 リリが上目遣いに尋ねる。
『どうして服着てないとだめなの? 裸はだめ? お兄ちゃんは大人のひとだから、私みたいな子が何も着てなくても、興奮したりしないんでしょう?』
『それは、まあ』
 普通ならばそう。俺はどうやら普通じゃないらしい。赤髪の言った四文字や銀髪の言った六文字が思考をかすめる。それを否定するためには、まず膨張しだした股間の馬鹿野郎をしぼませた後、正常な血液の流れを取り戻し、さらに維持しなければならない。
 リリが蠢く。花のような香りに絶えず鼻腔が侵され、形の良い白い乳房を俺の胸板に押し付けられ、張りのあるふとももが俺の腰に沿う。『これは私のモノ』とマーキングするかのように、その素肌を惜しげもなく擦り付けられる。無理だ。これほどまでに幼さとエロスを兼ね備えたものを体中に覚えさせられて、息子が黙っているはずが無い。
『でもね、興奮しちゃっても、いいよ?』
『なっ』
 リリの瞳が怪しく光る。図星をつかれ、肺が収縮する。リリの蒼い眼光に魅せられて、とっさに言い返すことができない。
『だいたいね、おにいちゃんは我慢しすぎなんだよ、お姉さん達に対してもそう』
『我慢?』
『そうだよ』
 目を細めたリリは、どことなく真に迫る感じだ。
 お姉さん達に対してもそう。お姉さんといえばチームの賢者二人のことだろう。あの二人に対して俺が我慢していることとは。
 ……そんなの数えれば切りがない。いつも我慢に我慢を重ねて、不満や怒りは隠し通してきた。そう隠してきたんだ、ずっと。誰にもバレないように。当然リリにだって気付かれないように。そもそも、リリがそんな感情の機微を理解できる年齢とは到底思えない。
 ともすれば、我慢とは。
『別に俺は、あの二人に発情したことはないぞ?』
『そういうことを言ってるんじゃないんだよ』
 違った。
 リリの声が少し低くなったように感じる。まるで出来の悪い下っ端を叱るような態度に驚いてしまう。そんな表情をしていいのは、協会本部の中間管理職の方々くらいだろう。
『さっきのこともそう。みんなの前で土下座なんかさせられて、嫌じゃないわけないでしょう? それなのに我慢して耐えて、雰囲気が良くなるようにって、笑えるようにって。そんなことしてたらおにいちゃんいつか壊れちゃうよ? これまでどれだけあの二人と一緒に旅してきたのかは知らないし、その間おにいちゃんはずっと耐えて来られたのかもしれないけど、……だめだよ。そんなのはだめ、絶対だめ』
 リリが一息に言った。
 俺は驚きに感心が加わり、そしてどこか申し訳なくなった。この子は見た目からは思いがけないほど、人というものを理解している。少なくとも俺が出会った中で、ここまで言い当てた人はひとりも居なかった。
『……わかるのか』
『わかるよ』
 まっすぐ返された返答に、俺は数え切れないほど繰り返してきた作り笑いを浮かべた。
『そっか、偉いなあ』
 俺を真剣にみつめるリリを、二三度撫でた。今まで隠し通してきたことを白日のもとにさらされ、驚き、感心し、恐怖し、そして、そのどれもが面倒になった。
『誤魔化さないで』
 リリがキッとした表情を見せる。俺は沸き立ちそうになる気持ちを押さえ、無理やりに温度を下げていく。冷ましていく。
 嫌だった。俺が誰かに甘えてしまうかもしれないという漠然とした予感がそこにはあった。今まで散々耐えてきたのに、誰に褒められなくたってそうしてきたのに。自分の気持ちを吐き出した時が最後だと、そう言い聞かせてきたのに。口に出すか出さないかの一線を、死力を尽くして守ってきたのに。
『誤魔化してないよ、そんな大したことじゃない。』
 俺は笑みを絶やさないで言った。
 これは俺の線引き。それ以上踏み込むなという警告であり、リリがやっぱり頭のいい子だと認めた証でもあった。これだけ賢い子なら、意図は伝わるだろう。
『……っ!』
 リリが口をぎゅうと結んだ。頭が良くて、いじらしい子だ。そう思えてしまうからこそ嫌だった。この子はわかってくれる。この子は俺を理解してくれる。甘えさせてくれる。そんな絶望的な予感を、俺は跳ね除けたかった。意地だ。それ以外のなにものでもない。
 こんなところで折れるような、そんな甘っちょろい生き方はしていない。
『……どうしてそこまで、おにいちゃんは』
 リリが悲しそうに呟いた。小さな罪悪感を覚える。俺は思わず口を開く。
『誰も辛い想いをすることはないんだ。それはあの二人にしても同じ、誰でもそう。自分が嫌なことをされたからって、相手にも嫌な感情を与えたら同じことだ。同類なんだ。同罪なんだ。同レベルなんだ。俺は別に大丈夫だよ、これまでも、これからも』
 少しだけ真面目に答えてしまったのは、リリのせいだ。でも、やっぱりそこまでだ。
 リリは言葉を噛み締めるように目を閉じた。そして溜息を吐いてから、目を開けた。
『決めた。サイレント・ルーム』
「?」
 リリがそう呟いたとたんに、部屋の形にぴったりとした膜のようなものが張られる。と言っても目に見えるわけじゃない。魔力ともどこか違う“何か”が張り巡らされた。
「もう大声だしてもいいよ」
「え?」
 可愛らしくも遠慮の無い声量に、俺は面食らう。おい、大丈夫なのかこれ。
「今、この部屋の中で何をしたって、外からは音も聴こえないし、気配もないよ。だから何をしても大丈夫」
「な、魔法?」
「ううん、ちょっと違うけどね」
 この独特の感覚は確かにサイレンスの魔法に似ているが、どこか違う。同じ剣でも銅か鉄かで違いがあるように、素材となる根本の力が違う。これは魔力じゃない。
「維持するのが難しいから、ちょっとおにいちゃんにも手伝ってほしいんだ。ちょっと両腕を広げてみて?」
「え? 腕? こうか?」
 ベッドからはみ出ない程度に、軽く広げてみる。
「そうそう」
 そう言って、リリが人差し指と中指で俺の二の腕、そして手首のあたりを大きく縦になぞった。続いて反対の腕にも同じことをする。なんだろう。
「リリ?」
「うん、ちょっと待ってね」
 もぞりと布団の中にリリが潜り、くすぐったい感触が俺のひざの上辺りを一度ずつ通り過ぎた。おそらく腕にしたのと同じだろう。
「おい?」
 体を起こそうとした。
「あっ、れ?」
 しかしそれはできなかった。首が少し持ち上がったところで止まる。肩が上がらない。
「えへへ」
 戻ってきたリリが俺の顔を覗き込んだ。
「動けないでしょう?」
「へ?」
 怪しく光る瞳に、俺は少しずつ焦りを感じ始めた。両腕が動かない。両足も動かない。いや、指は動く。しかし、さきほどリリに指でなぞられた部分が縫いとめられたように動かない。
「人間の男の人にしか効かないんだけど……、どうする? おにいちゃん動けないよ?」
「お、おい、リリ?」
「もう決めたの。全部教えてあげる」
 リリの腕が俺の首に回った。ぷにぷにの腕がまとわり付き、距離が縮まる。リリの甘い息がかかる。
「リリ、おい、これ」
 手足をバタつかせようとしても、脳の指令に体がついてこない。
「静かにしておにいちゃん。私の話を聞くの」
「いや、だって、……っ!」
 口を口で塞がれる。驚いて抵抗しようとするのを、リリの唇がはさみ、咥え、ときに舌で舐められる。この唇の恐ろしさを俺は知っている。この気持ちよさを俺は知っている。リリの名前を呼ぼうとする。脳が声帯に正確な信号を送ったはずなのに、上唇を優しくはむりとされて、それが途切れてしまう。やめろと言おうとして、唇のあいだをにゅるりと舌が這い、呆けたように口を開いてしまう。
「……っは」
 開放される。蒼い瞳がこちらを見ている。
「ちゃんと聞いてね」
 混乱する意識の中、その顔を捉える。目を細めるその表情はどこか挑発的だ。
「まず、まだわたしが何の悪魔かは言ってなかったよね。おにいちゃん、わかる?」
 幻惑魔法をかけられたときのように、頭がくらくらする。リリの正体をどうこう言う前に、この状況を理解できない。圧倒的にマズい雰囲気だということだけだ。
「そんなにチューが気持ちよかった? ふふ。わたしはね、サキュバスなの。ほら、おにいちゃん言ってみて、さ、きゅ、ば、す」
「サキュ、バス?」俺はかろうじてそう言った。
「そう、ちゃんと頭にはいってる? わたしはサキュバスなの。男の人にえっちなことをして、力を奪っちゃう悪魔なの」
 さきゅばす。サキュバス?
 噂にしか聞いたことのない名前だった。それも、酒場で酔っ払った老人が、「わしは空を飛ぶ宝船を見たぞ」などと吹いて回るレベルの与太話だったはずだ。夢魔、淫魔、サキュバス。それはどこまでいっても噂話で、噂以上になり得たことなんて今までになかった。
「それでね、『探している人がいる』って言ってたのは、おにいちゃんのことなんだよ。わたしはおにいちゃんを探してたの」
 小さなサキュバスが言う。おにいちゃんを探していた。俺を?
「わたしはおにいちゃんに、すごくえっちで気持ちのいいことをするの。それで、おにいちゃんの能力を全部奪っちゃうために来たの。いい?」
 俺の能力を奪うために近づいてきた。リリが?
 気配ごと消せるような空間を作り出せたり、大の男を簡単に縛り付けるような術を使ったり。並外れたその謎の力を説明するのであれば、架空の悪魔、それこそサキュバスなんて名前を持ってこないと無理だ。なにより、この俺がこうも簡単にやり込められてしまっているのだから。
 信じたくはないのに、リリの言葉以上に、状況証拠が揃ってしまっている。
「……いい、わけがない」
「そう! いいわけがないの。だって力を奪われちゃったらもう戦えなくなっちゃうからね?
 大正解だよおにいちゃん。ちゃんとわかってくれてるんだね。じゃあ、もうひとつ」
 そう言って、リリが体を少し横にずらした。その脚がするりと下半身を這い、無様にもこんもりと山を作った一部分をぐにゅり、と乗り越える。
「っ!」
「わたしは、おにいちゃんの“どこ”から、力を奪っちゃうと思う?」
 少しかすれた声は甘く響く。その脚が、やわらかな素肌が、俺の股間を往復し始める。
 もにゅり、するり、すり、すり。
「……ぁ、くっ!」
 ぞくぞくするような痺れが股間から頭まで、神経を一気に駆け抜ける。思わず震えそうになった声帯を、どうにか引き締めようとする。
「ふふふ、あむ」
 しかしその喉に、幼い唇がまたしても襲い掛かる。首筋をやわらかく、そしていやらしく何度も貪られる。
「あ、あ」
 気持ちよさに力の抜けた喉から、情けない声が漏れてしまう。なんとか打破しなければと転移の魔法を発動させようとしても、空間に吸い込まれるように魔力が途切れてしまう。
「だーめ、逃げられないんだから」
 リリの指が胸のあたりをなぞり、股間をその脚をこすりつけられ、体に密着する乳房がむにゅりと形を変え、いたずらな笑い声とともに首筋を舐められる。身が悶えるほど気持ちがいい。リリの柔肌のすべてが気持ちよくて、いやらしい。自分のモノがどんどん固さを帯びていくのを感じる。
「リ、あ、リリ、やめ」
「やめないよー? やめる必要なんてないんだもん。だって、おにいちゃんがわたしみたいな年下の子に、えっちな気分にならなければいいだけなんだから」

 それとも興奮しちゃうの?

 その脚が、さらに強く押し付けられ、上下にこすり上げられる。
「あああっ!」
「ふふふふ。あれえ、小さい女の子のあしで、気持ちよくなっちゃってるの? そんなわけないよね? 勃起なんてしてないよねえ?」
 ぐにゅ、ぐに、ぎゅ。
「ああっ、あは、あ」
「もし、もしだけど、わたしみたいな子におちんちん大きくしちゃったら、それはどうなのかなあ? いけないよねえ? いけないし、おっきくなっちゃったら、力も吸い取られちゃうんだからね? ほらほら」
 いけない。そう、いけない。そんなのは変態だ。気持ちよくちゃいけないんだ。興奮なんかしちゃいけないんだ。
 そう思うのに、リリの愛撫に体が簡単に反応してしまう。リリにされてるということに興奮してしまう。布など邪魔だとでも言うように、俺のモノは思い切り上を向いてしまっている。
 あむ、はむ。
「ああ、あ」
 声を漏らしてしまう。そんな俺を見て、リリが悦に入った溜め息を漏らした。
「おにいちゃん、いいお顔」
 手足の動きを一度止めて、リリはもう一度俺の上に覆いかぶさる。とろんとした蒼い瞳が愛おしそうに俺を眺めていた。
「もう、おにいちゃん、こんなことじゃ簡単に奪われちゃうよ? うーん、まあ、わたしで興奮してくれるのは嬉しいんだけど……」
 俺は呼吸を荒げながら、力なくリリを見つめ返していた。
 ふいにその表情から、加虐の色がふっと消えたように感じた。どうしてそんなふうに感じたのかはわからない。
「おにいちゃん、よく聞いて、よく考えてね。わたしはいま、おにいちゃんを好きにできるの。逃げることもできないし、抵抗もできないし、助けも呼べない。おにいちゃんがおっきくしちゃったおちんちんをわたしの中に入れて、力を奪い取るなんていつでもできるの。いつでもできるし、わたしはそのためにおにいちゃんに会いにきたの。ここまではいいかな?」
 リリが一言一言を噛み締めるように説明する。昂ぶったままのからだを放置されて、なんともいえない物足りなさを感じてしまうが、そんなはずはないと言い聞かせ、俺はリリの言葉に耳を傾けた。
「何も言わなくたってよかったの。わたしがサキュバスだってことも黙ったままで、ひとりの女の子として、ここでおにいちゃんとえっちして、何もわからないおにいちゃんから力を奪っちゃえばそれでいいんだから。それをね、いまわたしがこうやって口にしてるの。わかるかな? いつでもおにいちゃんを食べちゃえるのに、我慢してるの。わかるかなあ?」
 ぼーっとする頭では深い意味まではわからない。ただ、なにやら回りくどいことをしているのだけはわかる。
「いまからね、動けるようにしてあげる」
 リリの言葉に、俺は「へ」と「は」の中間くらいのまぬけな声を出した。
「解いてあげる。おにいちゃんの方が力はずっと強いから、自由になったらわたし殺されちゃうかな」
「お、おい」
 呼びかける間もなく、光の輪のようなものが腕と手首に浮かび上がり、次の瞬間はじけるように飛び散った。思わず目をつぶったが、痛みのようなものはなかった。
「……ほら、もう動けるよ」
 リリが静かにそう言った。慈しむようで、それでいてどこか切なそうな声だった。俺はゆっくりと腕に力を入れてみる。すると、それは指示に従ってベッドの上をゆるやかに撫でた。動ける。動かせる。
「ね?」
 リリが首を傾ける。不可解すぎる行動に、どうにも理解が追いつかない。
 リリは、このサキュバスの少女はいったいどういうつもりなんだ。彼女が言ったように、正体を晒した悪魔を、俺は今この時点で退治することだって出来てしまうのだ。
「……」
 そう、今すぐ動けば。今しかない。また同じように拘束を受けては逃げられなくなる。やるなら今だ。
 リリの手が俺の頬を撫でる。その体温を俺は享受してしまう。抵抗ができない。
 なぜ拒絶できないんだろう。動かせる体は、なぜ動かないんだろう。
 リリの蒼い瞳が近づいてくる。少しずつ迫ってくる。何をしようとしているのかにやっと気付き、慌ててその両肩を掴んで止めた。動けた。動けたはいいが、衣類のないリリの素肌は、触れているだけで毒だ。滑らかで温かくて、それだけで狂ってしまいそうだ。
「キスもだめなの?」
 リリが言った。まるで金縛りのように、その言葉が俺を縛る。返事ができない。
「ここまでしたんだよ。ねえ、キスだけだから。これはもう、わたしからのお願いなの。ねえ、おにいちゃん」
 俺の腕もかまわずに、リリが顔を近づけてくる。止められない。止めるすべがない。動けないんじゃない、止めることができない。
 中途半端に添えた手なんて意味もなく、押し入られるようにして、俺は唇を許してしまう。何度目かはわからないその感触に、俺は体を震わせた。
「んむ、ん」
「……っ」
 リリが絶対的な優位を放棄してまで、殺されるかもしれない状況にまで身を落としてまで、それを求めてくる。そしてそれは、俺を拘束したままでもできたことだ。
「ん、ん」
「……は、ふ」
 一度唇が離れる。細い指が俺の唇をなぞる。思わず息を吐く。うっすらと開いた目が、角度を変えながら俺を眺めている。金色の前髪が揺れている。もういちど、リリが降りてくる。
 あむ、はむ。
「んは、……は」
 止められない。気持ちがいい。俺がリリの肩に添えた手。彼女を拒んでいるのか、それとも求めているのかすらわからなくなってくる。拒まなきゃいけなくて、それでいて、この肌を、柔らかい唇を、リリの体を求めたくて。
 んむ、ちゅ。
「……ぁ、……っ!」
 抱き寄せてしまいたい。背中を撫でたい。その肌にもっと触れたい。そして手を滑らせながら、さらに下の方へ。柔らかいふとももを堪能して、下着の上からお尻を撫で回して、そして。
 ああ、したい、したい、したい。触りたい。気持ちよくなりたい。
 リリの肩を触る手に、力が入ってしまう。
「ん、う」
 唇を舐められ、情けなく開いた口の中へ、それがそのまま侵入してくる。俺は体を強張らせる。思わず引っ込めた舌を、にゅるりと絡め取られてしまう。
「うあ、……あはっ」
 口の中が甘い。リリの息が甘い。その舌の感触が甘い。途方もなく甘い。
「んふ、ん」
 にゅる、にり、ぬる。
「……はっ、……ぁ、ふ」
 口の中が溶ける。甘く溶ける。口が溶けて、顔が溶けて、頭が溶ける。喉が溶ける。体から足の先まで溶けていく。溶けていく体が悶える。溶けていく気持ちよさに悶える。
 体のいたるところがピンと張って、そして弛緩していく。リリの唇が甘い。舌が甘い。気持ちがいい。気持ちよさに蹂躙される。自分のからだがわからなくなる。わからない。
 にゅる、にる。
 リリの肌が見えるようで、闇が見えるようで、光に包まれているようで、何も見えない。何も見ていない。口が気持ちいい。ただ口の中が気持ちいい。

「……ふ」
「……はあ、は、は」
 それが過ぎ去った。どこかへいってしまった。
 放心している。自分でそれがわかる。一定のリズムで息を吐き出す。そうしようとしているわけじゃない。自分では何もしていない。ほっといてもそうなるだけ。呼吸は荒いのに、気だるくて心地いい。ただそれだけだ。
「はあ、おにいちゃん、ありがとお」
 満足したようにそう言って、部屋全体にかかった結界(のようなもの)を解除してから、俺の腕を抱いて首に鼻をうずめてくる。
『最後までキスさせてくれて、ありがと。おやすみおにいちゃん。また明日ね』
 しゃべるたびに唇がこすれ、吐き出す息にもぞくりとしてしまう。
『大好き』
 そうして、そのまま、リリは何も言わなくなった。


 俺はまだ呼吸を繰り返していた。仰向けに胸を上下させていた。
 少しずつ鮮明になっていく頭の中と、くすぐったいリリの寝息を感じながら、俺は息をしていた。下半身の隆起は、まだしばらくおさまってはくれないようだ。
 俺はなにとなく息を止め、自分の手で額を覆ってから、深い深い溜め息を吐いた。

 
 
 
 
 
 

 書いたもの

(18歳未満の方は閲覧できません)

 プレイ内容(ネタバレ含む)


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