これはひとつの、無理心中だ。
 
「…………正気か」
「ええ」
 すでに生命活動に支障をきたしている。
 核が消滅しかかっているのだから無理もない。
「そうか」
 その言葉に感情の起伏は感じられない。怒りと呆れが相殺したのか、もともと何の期待もされていなかったのか、私にはわからない。わかるのは私が主たる存在の命に背いたことで、もういくらもしないうちにこの世から消えてしまうということだけだ。
 どうして指示に従わなかったのか。
 お前にはがっかりした。
 何か言い残すことはあるか。
 どれか一つくらい聞かれてもいいようなものだけれど、相手はただ赤い目を冷たく私に向けるだけだ。
 
 いいい。
 
 独特の耳鳴り。仲間が救援を要請している。
 詳細な内容まではわからないけれど、私でもそれくらいはわかる。ここのところ、魔王城に戻ってくると鳴りっぱなしだ。地方での人間との争いが次第に大きくなって来ている。もうそろそろ、本格的にぶつかり合うのではないかというのが幹部たちの予想だった。
 
 玉座に腰掛けた魔王様が自らの意思を飛ばす。
 また耳鳴り。そっちでどうにかしろ、といった内容に感じられた。
 どうでもいい。
 私はいよいよ立っていられなくなって、冷たい床に横たえる。
 
 魔王様は何も言わない。手を下す必要も無い。
 主のために生み出された存在が主に背けば、無事でいられるはずもない。
 私は形と共に意義を失う。そして消える。
 
 いい、い。
 
 また耳鳴り。本当に今夜は騒がしい。
 似たような救援要請。今度は別の個体から。こんなに頻繁に人間とぶつかり合うということは、戦いが本格化してきているのは本当の話のようだ。
 そんな切羽詰った状況で、詰めの一手を打たなかった私は、この世から消えてしかるべきなのだろう。産みの親である魔王様の使命にも、期待にも沿うことができなかったのだから。
 
 魔王様はやり取りを終えたあと、「……ふむ」と、横たえる私を見下ろす。
「なぜ仕事を放棄した?」
 問う言葉からは、やはり何の感情も読み取れない。
 火に飛び込む虫を見て「なぜだ」と尋ねるかのようだった。たいした答えを求めているわけでもなく、興味があるわけでもない。口が暇だったから動かしてみた程度のことだろう。
「難しい、質問ですね……」と私も口を動かす。
「難儀ではあろうな」
「ええ」
「命を果たす必要がないことは理解しているのだろう? この期日まで行動すら取らずに自壊を選ぶのだから、それは難儀に違いない。そやつに惚れたか」
「そうかもしれません」
「ふふ。この期に及んで冗談とは、気が強いヤツだ」
 魔王様が微笑を浮かべた。
 その控えめな笑い声に、私も笑って見せようとしたけれど、少し声がかすれた。
 
 いままで私の仕事っぷりを全て見てきた魔王様だからこそ、不可解なのだろう。
 私だってそうだ。何も腑に落ちていないし、納得していない。
 けれどもう仕方がない。
 仕方が、なかったのだ。
 
「残念だ、ルイース・エルリアス」
 
 
 
 私はおにいちゃんを、いえ、勇者、あなたを恨む。
 あなたはあまりに簡単すぎた。
 
 本当はあの丘で出会うはずじゃなかった。翼も角もない少女に化けて、街の中で会う予定だった。
 勇者の座標特定を失敗したのは幹部だった。転移先でそれを報告する暇もなく見つかって、死ぬはずだった私を助けて、あなたは私を仲間に引き入れてしまった。
 サキュバスのままの私を逃がそうとしたのも、あなたが初めてだった。
 悪魔だと知っていて、警戒もせずに部屋に上げてしまうのも、あなたが初めてだった。
 私を見るあなたの表情はいつだって隙だらけだ。
 人間の男性の考えていることは経験則でわかるけれど、あなたのソレは、魔王様が警戒していることが不思議になるほど甘々だった。ほんとうに。
 
 その甘さが、“諦め”からくるものだとすぐに理解した。
 
 あなたの瞳には光がなかった。ほかの勇者、冒険者には必ずそれがあった。目的や夢を追う、強い意思の光は隠しきれるものじゃない。
 けれどあなたは何も見ていなかった。あなたには目的がなかった。
 邪魔をされて困るような目的を持っていない。そんなあなたはきっといつだって全てを受け入れて、我慢して、そしてそんな姿勢を、他人に利用されて食い潰されてきたに違いなかった。
 あなたをそこまで空っぽにしてしまった原因はなんだろう。どんな過去があなたをそんな風にしてしまったのだろう。あの二人に好き勝手言われてもあなたは弱々しい笑顔を見せるだけだった。距離感を掴む目的で口にしたおねだりは、全て受け入れられてしまった。
 
 力を奪うことなんて容易かった。
 あまりに簡単すぎた。
 
 全ての理不尽を受け入れてしまうあなたに、私の目的を受け入れさせる。そんなこと、私でなくたって出来てしまう。誰でも出来る。あなたは誰の頼みでも聞いてしまう。
 誰にも期待せず、誰にも依存せず。決して自分の内側には踏み込ませないあなたを。自分が本当の意味で幸せになれるだなんて、毛ほども信じていなさそうなあなたを。
 
 私は恨んだ。
 
 私が、そんなあなたから力すら奪ってしまう、その決断を鈍らせたあなたを。
 強く恨んだ。
 魔王様の命に背くのは存在意義の否定。失敗したとしても、目的に向かって行動してさえいれば生きていられる私に、あなたはそれをさせてくれかった。私はあなたに殺されるのだと悟った。
 だから、私の全てをかけて仕返ししてやろうと思った。
 いずれ消えてしまう自分が辛くて、悲しくて、だから、その復讐をしてやろうと思った。
 
 これはひとつの、無理心中だ。
 そして、八つ当たりだ。
 
 きっともうあなたは、おにいちゃんは、私なしでは生きていけない。
 私がそうしたのだから、そうなってくれなければ困る。
 私の持てる経験と知識を総動員して、あなたの大好きな私になって、虜にして、依存させて、その上で私はあなたの前から消えて居なくなる。全てを諦めていたあなたに、私という希望を無理やり与えて、そしてそれを私が奪う。
 そうしたら、もうあなたは生きていられないでしょう?
 
 これはあなたへの仕返し。
 私に死を決意させた、あなたへの仕返し。
 私ばっかりこの世から消えてしまうだなんて、死ななければならないなんて理不尽だ。だからあなたの意思で、一緒に死んでもらうの。そうしたら少しは寂しくないと思う。
 この夜が明けて、私がかけた古い眠りの魔法が解けて、朝になったらあなたは私を探すの。世界中を廻るかもしれないし、この魔王城に来るかもしれない。どちらにしろ、あなたは絶望するの。私がもうどこにもいなくなってしまった世界に、絶望するの。
 
「……」
 
 揺らぐ視界に自分の左手。
 それを包む漆黒のローブ。普段はしっとりしたその光沢のある羽毛が、やけにザラついているように見えた。
 なんとか動かして鼻に近づける。
 あなたの香りが少しは残っているかなと思ったけれど、もう鼻が利かなかった。
 
 私は目を閉じる。
 思ったより、ざまあみろ、と感じるし、思ったより、寂しいなとも感じた。ふて腐れるのはなかなか気持ちがいい。これなあなたのせいだよ、勇者。
 あなたを恨むよ。
 あなたが天国で悪事を働いて、地獄に来てくれるまで、私はずっと恨むよ。
 
 だからちゃんと受け取って。
 これは、私からの八つ当たりだから。
 
 
 
「…………?」
 
 急な浮遊感。私は重すぎる目蓋を持ち上げる。
 
 そこには。
 いままでで一番怖い顔をした、あなたがいた。
 
 
 
   *   *   *
 
 
 
 抱き上げた小さな体は相変わらず軽い。
 
 俺は青白い顔をしたリリを見下ろす。蒼い瞳が俺を見上げている。生まれてくる感情が複雑すぎて何も言えなかった。しいて言えば、やっぱりここだったか、というのが一番大きな気持ちだろうか。
「な、んで……」
 かろうじて聞き取れる声。
 俺は返事をせずに、抱きかかえたリリを広間の隅にそっと寝かせた。
 
 たぶん、俺がここに来るなんて予想もしていなかったに違いない。以前に一度だけ魔王城の入り口の座標を記憶しておいて良かった。
 俺もまさかリリに睡眠魔法をかけられるとは思っていなかったし、まさかそれが赤髪の祝福魔法と相殺されるなんて誰に予想できたか。本来あれは、俺に聖なる祝詞を与えることで魔族であるリリになんらかの嫌がらせをする目的だったに違いない。
 
 さて。
 
「どうやってここに来た?」と、魔王と思われる存在が口を開いた。「幹部たちは何をやっている?」
「ちょっと話をしよう」と、俺は魔王に向かって歩く。
「ルイースをあてがった勇者だな? ……そうか、ルイースを追って来たのだな? 皮肉なものだな。我の命に背いたというのに、仕事を果たしてしまうとは」
「ひとりごとになるかもしれない。まあ聞いてくれ」
 魔王の言葉を無視して、俺は歩き続ける。
 俺の二倍ほどの体格はあるだろうか。魔王はその長い腕をこちらに向けた。
「仲間も連れずに、愚かなことだ……」
 その手から一直線に、ひあっとした空気に包まれる。
 業。
 と音を立てて、緑がかった火炎が地面から迸った。
 まともに食らえば塵になってしまうのだろうな。と。俺は感想を浮かべながら。魔王の隣で剣を振り上げた。生い茂った雑草を切り払う程度の手ごたえだっただろうか。前方に伸ばした魔王の腕が宙を舞って、床にべとりと落ちた。
「怒ってるのか、悲しいのか、よくわからないんだ」
 俺は魔王の隣に座り込む。
 魔王は数瞬の後に叫び声を上げて、俺から距離を取った。話し相手にはなってくれないらしい。仕方がないので、俺はまた魔王の背後に飛んだ。
「こんなに怒ったことが今までになくてさ。どうしていいかわからないんだ。リリは、あれは、まだ助かる状態なのか?」
 反射のように魔王がもう片方の腕を振り上げ、俺はそれを切り落としておく。
 どばっと暗い色の体液が流れ出る。魔王がまた悲鳴か呻き声かよくわからない声を上げて、俺はその姿をどこか遠い存在のように眺めていた。
 
 とにかくリリが許せなくて、そして悲しかった。
 
 宿屋に争った形跡なんてものはなかった。ここにリリが居るのは、リリの意思だ。
 ずっと一緒だと思っていたリリは、最初から居なくなるつもりだった。俺に断りも入れずに消えて、そのまま俺の人生からも消えてしまうつもりだった。そんな現実を受け入れようとするほど、俺は頭の芯が冷えるほどに怒りが湧き上がって、そしてどうしようもなく悲しくなった。
 リリは俺と一緒にいるつもりはなかったんだ。
「リリはまだ助かるのか? 一応聞かせてくれ」
 俺はただ答えを求めていた。
 きっと返答に意味がないことも理解しながら、それでも納得できるだけの答えを求めてここにきた。そんなものは存在しないかもしれない、ということも頭のどこかでわかっていた。
「キ、サマ……ッ!」
 転移魔法の詠唱破棄。そして身体強化の魔法。
 そのどちらも、目的意識が一番重要だということを初めて理解した。今更どうでもよかった。
 強烈な目的意識。いままで仕事感覚で魔物と戦ってきた俺には持ち合わせていない感覚だった。倒す必要性を感じないような相手を、ずっと倒してきた。
 いまの俺には答えが必要だった。理由が必要だった。リリが消えてしまったことへの、そして今、この世からも消えようとしていることの理由。
 それだけが欲しかった。でなければ身体が四方に弾けてしまいそうな気がした。暗い地面に体が飲み込まれそうな気がした。胸の奥は痛み続けて、激情の中にいるはずの心が不気味なほどの無音を刻んでいた。
 リリ、どうしてだ。
「ぅぬあああああああああっ!!」
 耳が痛く鳴るような咆哮。魔王の体を影が包み込んだ。
 俺の二倍ほどあった体格がさらに二倍くらい膨れ上がり、切り落としたはずの腕が嘘のような速さで再生して、その四肢を俺はもう一度切り落とした。
 胴と頭だけになったイビツなイキモノが床にべしゃっと崩れ落ちた。
 変身の咆哮より悲鳴の方がうるさかった。先ほどよりも少し硬かっただろうか。どう考えても弱すぎる。そう思って手元を見ると、右手に持った剣がうっすらと青白い光を放っていた。
 静かで、冷たくて、けれど万物を焼き切りそうな熱を孕んでいるようにも見えた。まるで俺の心を具現化しているみたいだった。身体強化の魔法が影響しているのだろう。自分でも仕組みがまったくわからないけれど、直感的にそう思う。
「フゥウウウ……、グゥウウウ……ッ!」
 魔王は床に横たえたまま、大きく胸部を上下させていた。
 どうせあと一、二回は変身するのだろうから、早くすればいい。俺が遭遇したことのある偉そうな悪魔はだいたいそうだった。
 
 陰。
 
 耳が聴こえなくなって、広間全体が影に覆われた。先ほど魔王の体を包んでいた影と同じもののように思えた。
 俺は即座にリリに触れ、城の上空、適当な高度に目測をつけて。飛ぶ。
 広間より蒼い暗がり。肺一杯に冷たい外気を吸い込んだ。琥珀色の三日月が少し雲に隠れていた。びゅうと風が吹いて、俺とリリの体はすぐに自由落下を始める。はるか地面の方向から緑色の光が漏れ、遅れた爆音が体を浮かせた。
 城のてっぺんがいくらか崩壊し、虫食いのようになっていた。下降の風圧を肌に感じながら、ちろちろと見えていた緑色の炎が消えたのを確認して、俺はもう一度、飛ぶ。
 まだ肌にひりつく熱の残る大広間。光は消え、天井に所々に空いた穴からわずかな月明かりが差し込んでいた。俺は野営用の魔石を取り出して宙に投げる。乾いた音と共にそれは弾けて、周囲は昼間のような明るさに包まれた。その中心に立っている人影は魔王だろう。やけに小さくなってしまったように見える。
 
「……その力、一体どうやって手に入れた」
 
 背丈は俺とほとんど変わらないだろうか。今までで一番人間の姿に近いように思えた。
 どうやら話し相手になってくれるようだ。俺は瓦礫の少ない場所を探して、そこにリリを寝かせた。そして魔王に向き直り、歩く。
「さあ? 俺が気付いたのも、さっき門番みたいなのと戦った時だからな」
「力に目覚めて間もないと言うか。馬鹿を言え。そんな力をすぐに制御できるはずもない!」
「知らねえよ出来るんだから」
 俺は軽く剣を二度振る。白い残像が虚空に瞬いた。
 確かに、負荷はいつもより掛かっているように感じる。でもあくまでその程度だ。普段の練習と変わらず、俺はじいさんから教わった基本通りに動いているだけだ。あるいは馬鹿みたいに基礎練習ばっかりしていたせいで身体能力が多少変わったくらいでは動きに支障が出ないのかもしれない。だとすれば、もう長いコト進歩が無いと感じていた朝練にも意味があったということか。
「会話をする気になったんなら」と俺は続ける。「答えてくれ。リリはまだ助かるのか」
「リリ……? ああ、ルイースのことか」
「ああそうだ。たぶん」
「い、いや、少し止まれ。そこで止まれ」
「助かるのか」
「止まれと言っている!」
「どうして」
「会話にならん奴だ」
「どっちが」
「ク……ッ!」
 構わず歩き続ける俺に魔王はその浅黒い腕を振るった。
 金属のぶつかるような音が響き、こあっと光が散った。俺の剣は魔王の腕を受け止めた。いままでで一番の硬さを感じたけれど、本気を出せば圧し切れるなという感触だった。それが相手にも理解出来たのか、魔王がさらに顔色を変えた。
「キサマ! 話を聞け!」
「お前が俺の話を聞くんだよ」
「会話が目的ならば、なぜ攻撃してくる!?」
「お前が攻撃してくるから反撃してるだけだ」
「馬鹿を言え! キサマが……っ!」
「いきなり緑の火炎で焼こうとして、背後に飛んだらまた腕を振りかぶってきて、巨大化して、今もそっちが攻撃してきただろう」
「……、……」
「…………」
「……そうか」
「そうだ」
「し、しかし、キサマの目的はルイースであろう? 哀れな部下だ。自ら命に背いたせいで消滅しかかっている。奴は我を根源とした部下の一人だ。我を殺せば永久にルイースを失うことになるぞ? んん?」
「お前を殺しに来たわけじゃない。……だけどその情報は俺に言うべきじゃなかったな」
「なに?」
「別にリリがこのまま消えてしまうならそれでいい。仕方が無い話だ。そうなったら俺もすぐに後を追うつもりだ。リリのいない世界に用はないからな」
「ふ、ふん。それこそ我に言うべき情報ではなかったな? 奴の色香にまんまと入れ込んでいるではないか。死ぬのならば勝手に死ぬがいい」
「お前を殺した後にな」
「なっ、なぜ我が関わっている!? 我を殺しに来たわけではないのだろう!」
「お前が死ぬと永久にリリを失うと言った。まるでお前にはリリを助ける方法があるような口ぶりだからな。リリを助ける手段を持っていながら、それを行使しなかったとみなす。それだったら俺は死ぬ前にお前を殺す」
「待て待て待て! ルイースが死ねば世界に興味などないのであろう!?」
「いや、もともとリリが消えるようなことがあれば、魔王城にいる奴らは皆殺しにしてから死ぬつもりだった。この広間までの魔物はほとんどスルーしてきたけど、まあリリが死ぬなら仕方が無い」
「み、皆殺しだと!? 一体何の理由でだ!」
「勇者だし」
「本心でないことを抜かすな!! 理由を言え!」
「理由なんてねえよ。これは俺とお前らの無理心中だ。リリが消える世界なんざどうなったって構わない。俺からの八つ当たりをどうぞ受け取ってくれ」
「そのようなキサマの都合で殺されてたまるか!!」
 まっとうな怒りだ。
 魔王はうめき声を上げた後、振り上げた腕を素早く振り下ろした。受けようとした剣は空中を空振り、俺は自分の立ち位置からわずかに右へとズレるように飛んだ。フェイクを挟んだ二撃目は後方から、俺が元いた位置へ空を切った。今の俺でなければ食らっていたかもしれない速力だった。そんな感想を抱きながら、俺は伸びきった腕を下から切り上げた。
 肉厚の三分の一ほど食い込んだだろうか。
 魔王は忌々しそうに声を上げてその腕を庇うように隠した。俺はその腕めがけてさらに剣を振る。魔王がやかましい悲鳴を上げ、障壁魔法の発動とともに床を蹴った。距離や位置が意味をなさないことをいまだに飲み込めていないらしい。俺は魔王の着地地点を目算して、その少し高い位置へと飛ぶ。空中から体重をかけた一撃が、傷だらけの片腕をついに切り落とした。
 切断された腕を押さえ、魔王が後ずさった。
 俺は体から力を抜いて頭をかいた。
 
 幹部っぽい悪魔はぜんぶ昏倒させてきたけれど、そろそろ起きてくるかもしれない。
 俺は広間の隅に目を向ける。リリはぴくりとも動かない。
 命に背いたせいで消滅しかかっている、か。
 魔族にだけ存在する契りのようなものだろうか。魔王の命令に逆らうことが出来ないようになっているのだろう。リリは俺の力を奪いに来たと言っていたが、結局その命令に従わなかった。その制約さえなければ、リリは俺と一緒に居たいと思ってくれていたのだろうか。それが原因でリリが消えるというのなら、迷わず俺の力を奪ってくれれば良かった。そして二人でどこか遠くへ消えてしまえば良かった。
 何にしろ、理由にはならない。
 リリが消えていい理由なんて何も無い。
「まっ、待て! キサマ!」と魔王が残った片手をこちらに向けた。
「待ってるよ最初から」
「ルイースを救いたいのだろう!?」
「それはもちろん」
「ならば、ならば取引してやろう……」
 
 魔王が痛みに耐えながらニタリと笑った。俺は顔の筋肉を動かすことすら億劫だった。
 
「取引?」
「そうだ。お前がそこまでルイースを救いたいというのであれば、お前の命と引き換えにそれを叶えてやらんでもない」
「……ほう? 出来るのか?」
「キサマ次第だが、どうする?」
「本当に出来るんだな?」
「無論だ」
 
 俺は大きく息を吐く。
 しばらく目を閉じて、それから開くと、魔王が自信のありそうな表情を見せた。
 俺は頷いて口を開く。
 
「却下だ」
 
「……きっ、な、なんだと!?」と魔王がわかりやすくうろたえた。
「却下だ。もう一回言うか?」
「ルイースを救いたいのではなかったのか!?」
「魔王、お前は勘違いしてる。俺がリリを救いたいのはリリのためじゃない。俺のためだ。俺が幸せになるためにリリを助けたいんだ。リリが助かって、俺と一緒に笑って暮らしているところを、俺が、見たいんだよ。俺がリリと一緒に幸せになりたいんだ。俺が死んでどうする。馬鹿かお前」
「ば……っ!? そんな、何の犠牲も払わずに取引など」
「大きな勘違いはもうひとつ。俺はお前と相談をしに来たわけじゃない。リリ本人と、リリが消えてしまう理由を探しに来ただけだ。これは交渉じゃない。ただの世間話であって、俺のひとりごとだ。俺はリリが死んだらここにいるやつらを道連れにして死ぬ。それ以上でもそれ以下でもない」
「わ、我を脅すつもりか!?」
「言ってるだろう。交渉でもないし、脅しでもない。ひとりごとだって」
「脅しているであろう! ルイースを救わねば我を滅すと言っているのであろう!?」
「お前がリリを見捨てたらお前を殺すと言ってるわけじゃない。リリが死んだらお前も死ぬと言っているだけだ」
「同じことではないか!?」
「違うよ。俺の中ではまったく違う。俺は俺の人生を全うする。俺の選択をする。お前も俺に忖度する必要は無い。お前の人生はお前が決めろ」
「グ、ク……ッ」
 
 魔王は歯軋りをするように押し黙った。
 俺はようやく一息つけそうだと座り込む。
 あとはリリが消えてしまうまでに魔王がどうするか。相変わらずしんと冷えた心はその奥の方だけがグツグツと煮えたぎっている。俺はもうリリをほとんど諦めているのかもしれない。だからこれだけ静かでいられるのかもしれない。
 もしリリが助かるようなことがあったら、丸一日かけてこんこんと説教する自信がある。それくらい怒っている。自分のあまりのキレっぷりに驚いて、逆に冷静になってしまったような、きっとそんな状態に近いのではないかと自己分析する。
 
 もうリリは幾分も持たないだろう。
 タイムリミットまでに決断するのは俺じゃない。魔王だ。
 
「な、ならば……」と魔王が口を開く。「ならばせめてキサマのその馬鹿げた力を封印させよ! ルイースを蘇らせた途端に我らが全滅させられたのでは話にならん! こちらの戦力が保障されない限りは応じることはできんな!」
「力を封じられた途端に襲われたらそれこそ話にならない。俺がお前たちを襲わない条件は、俺とリリが何の憂いもなく幸せに暮らせる確証が得られることだ。何回も言うけどこれは交渉じゃない。俺はお前に行動を求めないし、お前も応じる必要はない」
「現状は同じではないか! 戒めを解くのにどれだけの魔力が必要になると思っている!? 我の命に従うは魔族の根底だ。その根底の繋がりを無理に解こうとするには、我の全魔力の半分以上を消耗することになる。その条件を飲んでやると言っておるのだぞ!? 力の封印くらい受け入れたらどうだ!」
「リリと幸せになれるなら、俺は金輪際お前らを襲ったりしない」
「そんなもの信じられるか!!」
「俺はお前とは違う。信じる信じないは好きにすればいい。現状は変わらない。お前がお前の人生を決めるだけだ」
「こ、この、しち面倒な奴め!」
「最初から言ってるだろう。これはひとりごとで、八つ当たりで、無理心中だ」
 
 魔王の顔色が明らかに悪くなってきている。
 おそらくリリの状態が魔王には正確にわかるのだろう。ある意味で、この場でリリの身を一番案じているのは魔王かもしれない。
 
「……繋がりを解くことで失った力が戻るまでには酷く時間がかかる。我が力を失ったことがわかれば人間どもはすぐに攻めて来るだろう。どちらにしろ我らは滅ぶことになる。キサマが譲歩しない限り、選択肢は増えんぞ」
 その静かな口ぶりに、魔王の底が見えた気がした。
「……わかった、わかった」と俺は息を吐く。「なら正式に交渉しよう。お前がリリを救うことに力を使うのなら、俺は金輪際この魔王城に攻め込むことはない。その上で、いま魔王城は大きな罠を張って待ち構えているという噂を人間側に流してやる。お前の力が戻るまでの時間稼ぎができるようにな。もしそれでも人間が攻め込んでくることがあれば、俺が変装して防衛の手伝いをしてやってもいい」
「キ、キサマは人間の味方ではないのか?」
「人類も魔物もどうでもいい。俺はリリと幸せになりたいだけだ。リリが自由になることで生まれる損害は俺が補填するよ。あくまでお前の力が戻るまでだけどな」
「……それを、我が信じるとでも?」
「何も信じないで決断なんかできない」
「…………」
 
 苦々しそうな表情で魔王は俺を見て、リリに目をむけ、そしてまた俺を見た。
 
 しばらくした後。
 俺は安らかに寝息を立てるリリを抱き上げて、魔王城をあとにした。
 
 
 
   *   *   *
 
 
 
「ムムッ! イソード村から北西に進んだ洞窟に何か手がかりが見つかると出ております! そこで魔物使いとして修行をされると良いのでしょう!」
「なるほど、わかった! ありがとう!」
 
 四光鳥を連れた将来有望な若者は帽子を深く被りなおす。扉の手前でもう一度だけこちらに頭を下げると、颯爽と旅立っていった。クォーウという独特の鳴き声を上げながら、彼のパートナーがその背中を追っていく。
 俺は天井から吊るした幕を上げ、ほったて小屋の扉の前に閉店の看板を立てた。
 ついでにアゴにつけた白いヒゲもどきをべりべりと剥がし、編声の魔法が入った魔石を胸元から外した。どちらも小道具入れに詰めれば今日の仕事は終わりだ。
 
 旅の助言おじさんの噂はちょうどいい按配で広まっていた。右も左もわからないような駆け出しの冒険者が大量に押し寄せてくるようなこともなく、今後の方針に行き詰って入るような実力者たちがぱらぱらと訪れてくる。
 俺の提供する助言がかなり役に立つと評判だという。おかげでそれを独り占めしたいと思う者、そして本当に親しい者にしかこの小屋の存在を教えない者、そうした噂の伝わり方のおかげで、下手に王族にまで知られてしまうということもないようだ。そもそもこんな辺境の地であれば、ここまで自力でたどり着ける者でなければ俺に会うことすらできない。
 
 じゃりん。と金袋が小気味のよい音を立てる。
 俺はそれを手に、転移の魔法を発動させた。
 
 途端に真っ暗な夜を迎えるは世界の反対側。
 険しすぎる崖に囲まれた場所に、灯りのともった小屋がひとつ。崖の上からは数匹のデスアルバトロスがおかえりを言うようにけたたましい鳴き声を上げていた。
 俺はそいつらに軽く手を上げて挨拶を返し、小屋の扉を開けた。
「ただいまー……」
 金袋と荷物をどさり。今日の仕事は終わりだ。
 明日からはまた各地を回って情報集め。助言の小屋は新月と満月の日にしか開けない。
 だいぶ食料庫が寂しくなってきたから、買出しが先かもしれない。なんてことを思いながらイスにどっかと腰掛ける。まるで待ち構えていたかのようにぱっと灯りが消えた。
 暗闇の中に蒼い瞳が揺れた。
 俺が抵抗するより早く、手足が椅子に縫い付けられる。
「おにいちゃん、油断したねー……?」
「リ、リリ?」
「ふふっ」
 膝の上にリリが跨る。
 わき腹から胸、そして首へとその小さな手が這い上がってくる。首に腕が巻き付き、幼げな吐息と蒼い瞳が眼前に迫った。
 鼻先の触れそうな距離。彼女はその光る目を細める。
「……もう欲しがってる。いいのかなー?」
「はっ、は、は」
 リリの指先が触れて、初めて俺は自ら舌を伸ばしていることに気付く。
「んふ」
 甘い息を圧し込まれるように、リリの唇が俺の唇を塞いだ。
 すでに暗い部屋の中が、うっとボヤける。
 もはや条件反射のように力が抜けて、俺はだらりと舌を預けてしまう。その表面をリリの小さな舌に舐られえて、自然と鼻息が荒くなった。
 ズボンの上から、かりかりと指先が踊る。
「んふ、ん」
「んっ、んん」
 唇と唇。舌と舌。息と息。それぞれを熱に溶かして混ぜ合わせるような、濃度の高いキス。拘束がなくても、もう、動けない。
 つっと唇に唾液が垂れる。リリがうっとりとしたように目を細め、首をかしげた。
「魔王様にも勝てちゃうような、この力……」
「ああっ、あっ」
 リリにズボン越しのソコを強く撫でられて、俺は腰を浮かせる。
「サキュバスに奪われちゃっていいのかなあー……?」
「り、リリ、……っ、あっ」
「おにいちゃんのせいで、人類は終わっちゃうのかもねー……」
「リリ、ああ、う、はや、く」
「ふふっ」
 リリの手が俺のズボンをズラす。
 もはやそうあることが当然であるかのように、俺のモノが勢い良く飛び出した。
「こうされたいんだよね?」
「あっ……、ひぐっ」
 リリの手がそれを掴み、ゆっくりと上下し始める。
 俺は口から漏れそうになる唾液を慌てて飲み込んだ。
「わたしのお手手で奪われたいんだよね?」
「きもちっ、あっ、リリ、ああ……っ」
「世界がどうなってもいいんだよねー? 最低な勇者さん。ふふふふ」
 もう片方の手は陰茎の先端を覆い、ぐりん、ぐり、と捻るように動き始める。
 嘲笑うような糸目。蒼い瞳は愉しそうに俺を見上げる。
「んふふふ。へんたーい。おにいちゃん」
「ああっ、あっ、あっ」
 知らぬ間に開発の進んだ俺の身体は、日に日に“早く”なっている。それはこれほど長期間に渡ってサキュバスと交わっていたら仕方の無い話だという。
 リリの手は激しさを増して。
 俺は夢心地と言うにも生温いほどの快感に、ただ眉を寄せる。
 
 世界よりリリを選んでしまう、このダメ勇者プレイは彼女が好んでいるもので。
 そして俺の力は、半年経った今でもまったく奪われる気配もない。
 
「―――――――――ッ!!」
「あっ」
「……はっ。……はあ。……ああ」
「あーあー……。んふふふ。いけないおにいちゃん」
 
 
 
 
 
 
 おしまい。
 
 
 
 

 書いたもの

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 プレイ内容(ネタバレ含む)


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