「おいしいの? それって」
「おいしいわけないジャン」
俺の疑問に、彼女は当然のような顔で言った。
放課後の旧校舎側にある体育倉庫の影はちょっとした死角になっていて、本校舎を回る教師の目も届かない。大して強くもない野球部がエーだとか、オーだとかよくわからない奇声を上げる中、彼女の吐いた煙は白球に賭ける青春の一ページを白く濁らせた。
「まずいのに吸うの?」
「まずいから吸うんだよ」
「なるほどね」
なるほど。何がなるほどなのだろう。
知ったかぶりを咎める様子もなく、彼女はまたタバコの先を赤くする。
風に囲いの方へと消えていく煙を見送ると、彼女は何となしに青い銘柄の箱をこちらに差し出した。
「吸ってみる?」
もう何度目だろうか。
彼女も根気のある方だと思う。根気があるからこそ、最後まで信じて信じて、信じ抜いて、その最後に、親に裏切られたのだろう。
離婚は止められなかった。
「ん」
彼女は箱を持ち替えて、もう片方の手で髪をかき上げた。露わになった耳には今日はピアスこそしていないけれど、少し前に停学処分を受ける原因となった穴が開いている。停学明けからは外すようにしているのだから、やはり根が真面目なのだろう。
真面目に、壊れてしまったのだ。
「…………」
「いいね」
一本だけ抜き取ると、彼女は愛らしく笑った。
言葉は乱雑になったけれど、その笑顔が以前とまったく変わらないことに眩暈を覚える。イライラしているときに吸うと楽になるとは聞くけれど、果たしてこの感情を拭い去るほどの効果は期待できるのだろうか。
彼女が安っぽいライターを差し出し、俺はタバコの先であろう方を差し出す。
「吸わないと」
「え?」
「口にくわえないと、点かないよ」
「ああ」
俺は間抜けな声を出して、手に持った側を口にくわえた。
彼女が近づける火に、映画の見よう見まねで顔を近づける。吸い加減がわからないけれど、とりあえず吸う。吸う。
彼女が手馴れた様子でライターをポケットにしまい、それに遅れて火が点いたのを知る。
指で挟んでタバコの先を見る。確かに赤い。煙も出てる。
ああ、これが20円か。へえ。
「何が楽しいの、これ」
なんとも無粋なことを言ってしまったなと思ったけれど、彼女は気分を害した様子もなく、また一口分、国の税収に貢献した。
「喉とか、あと気分とか」
「気分が楽しいの?」
「そう、気分」
「そっか」
どうして今日に限って受け取ってしまったのかはわからない。別に理由があったわけじゃない。いつか俺は彼女に根負けして一本は吸うことになっていただろうし、それが今日だっただけの話だろう。
俺はもう一度それを口にくわえる。この程度の違反行為でいまさら気持ちが高揚するとは思わなかったけれど、どうやら別腹らしい。
「口で溜めてね、吸い込んで、吐き出すの」
「ん」
喉で返事をして、口にソレを吸い込む。
なにやらよくわからないものが充満していくのを感じる。とりあえず吸い込むと、スースーする飴のような涼しさがノドの奥へと降りていくのを感じた。肺には到達しただろうか。わからないけれど、吐き出してみる。
白い。おお。
俺も俳優みたいだ。
「どう?」
「……なんか、わからない」
「でしょ?」
でしょ、って。おい。
わからないので、俺は次の一口をヤってみる。
相変わらずの感覚をノドで感じながら、俺はタバコの先をもう一度眺める。先ほどよりも黒い部分が増えている。ここがヤキを入れるとかいう、死ぬほど熱いらしいアレなソレだったはずだ。
摂氏何度って言ってただろうか。
とりあえず人肌を温めるための温度ではなかったと思う。
俺は引き続き、20円を身体に入れては出していく。
そうしているうちに、なんとなくフワっとした感覚に包まれる。重力が減ったか体重が減ったかのどちらかだろうとは思うけれど、後者だとするならば、体重測定の日の女子更衣室はさぞヤニ臭くなることだろう。
彼女は指先でタバコを弾き、灰を落とす。俺も真似をしてみる。
ふむ、様にならない。
ふー……。
最後の一口を豪快に吐き出すと。彼女は吸殻を地面に押し付けた。
その様子を眺めていると、何となく彼女の手がこちらに伸びた。
「ん」
「ん」
慌ててタバコを遠ざけたときには、すでに口の中に苦さが充満していた。
空いた左手だけではどうにかなるはずもなく、むしろ彼女もそれを狙っていたのかもしれない。
苦いだけのキスを終えると、彼女はじっと俺を見つめた。
その目はすでに、俺の何もかもを見透かしているようにも思えた。
「今日も、ダメなんだ?」
「ダメって?」
「わたしは、いいのに」
「……大事に思ってるから」
一度はぐらかしておいて、大事に思ってるだとか。
自分のムッツリっぷりに笑いそうになる。
彼女の手が勢い良く伸びてきて、俺は壁に背中をぶつける。あとでしっかり踏みつぶすことを約束して、タバコを地面に捨てる。彼女の目がそれどころじゃないことを物語っていたからだ。
「大事にって……! 大事って、なに!?」
「……、……」
けほん、と俺がセキをひとつすると、彼女の手が緩んだ。
その瞳に罪の意識が宿り、彼女は弱り、すぐに顔を伏せる。その手が離れる。もっと罵倒すればいいのに。もっと嬲ればいいのに。そうするだけの権利がきっと彼女にはあって、そうされるだけの罪が俺にはある。
彼女はどこまでいってもイイ子で。
俺はどこまでいっても。
「ごめん、なんでもない」
「いいよ」
俺は彼女を許す。きっと刺されても彼女を許す。
「また明日ね」
「うん」
去り際の彼女を呼び止めて、俺は一言、好きだよと口にする。
彼女は小さく頷いて、また背中を向けた。
まるで見ていたかのようなタイミングで振動する端末に、俺はただ、ほっと胸をなでおろした。
* * *
「あはあ、あ、あは」
「もう出そう?」
自ら動かす手の動きに、頭が鈍っていく。
ただ目の前の肌色に息を吐きかけながら、狂ったようにソコを扱く。
「終わったら言ってね」
水嶋さんは端末を片手に、わずかに太ももを擦り合わせる。肉と肉の押し合いに肉が負けて、肉が勝つ。白いニーハイと、絶対領域と、さらにはそのプリーツスカートの奥を想像するけれど、コピーにコピーを重ねた記憶は劣化が激しくて、解像度が曖昧だ。
いつからだろう。
もう、触らせてもらえないどころか、見せても貰えない。
なのに、それでも俺のソコは馬鹿みたいに猛り狂う。
唾液ばかりが溜まって仕方がない。
慈悲を請うようにその表情を下から伺うけれど、彼女の視線は端末の画面から一ミリたりとも動きはしない。彼女と別れていないからこそ与えられるご褒美はこんなにも淡白だけれど、それでも俺はどうしようもなく、その脚の虜になってしまう。
自分の恋人を欺いてまで。
その気持ちを踏みにじってまで。
何度も虚構の愛を囁いてまで手に入れたモノは、ただ彼女の脚を間近に眺めながら自分のモノを扱いていいというだけの、ただそれだけの権利。
ただそれだけの、あまりにも惨めな行為に。
俺は脳が焼き切れそうなほどに。
どうしようもなく。
ああ。
「今日は長いね」
呆れたような言葉さえ糧になってしまう。
だって、与えてはくれているのだから。
こんなにも近くに、彼女の脚を見られるのは、きっと俺だけなのだから。
顔を押し付けたい。嗅ぎたい。舐めたい。揉みたい。
挟まれて、挟ませて、顔を上に滑らせて、そのスカートの奥に。ああ。
もう、なにも叶わないのに。
叶わないのに。叶わないから。
だから、こんなにも俺のソコは、言うことを聞かなくなる。
惨めさに溺れていく。情けなさに痺れていく。自分がどうしようもなくなればなくなるほど、本当に、どうしようもなくなる。彼女の態度に、ヘンタイの、最低のオトコを写す鏡を見せられているようなこの状況に、俺はどうしようもなく、手を動かしてしまう。
ああ。最低だ。最低だ。
最低に、気持ちよくて。どうしようもなく、肉付きの良い脚で。
あとほんの少し近づけば、前髪すら触れてしまいそうな距離で。ああ。
嗤ってもくれない。相手をする価値もない。そんな行為が、馬鹿らしくて、たまらない。あまりにも救いようがなくて、たまらない。
ただの脚なのに。
それはただの肉なのに。
どうにもならない。どうにもならなくさせられてしまった自分が、水嶋さんの甘さに犯された自分が、たまらなく惨めで、愛おしい。こんなことで気持ちよくなれる自分が、死んでしまえばいいと思えるほどに大好きで。
相変わらず、手を止められるはずもなくて。
「……手伝ってあげよっか」
彼女の手がプリーツをめくり上げる。
それはたった1センチほどのことだったかもしれない。増えた肌色の面積なんて大したことなかったに違いない。
でも、もう、ただ、それだけで。
ソコが限界に近づく。
「あはっ、あ、あ、あ、あ」
彼女の行為に、サービスに、誘惑に。
心が先にイきそうになる。潤う。押し寄せる幸せに、股間まで熱が伝わって、真っ白になって。手が早まって。太ももが広がって。
ああ。
「ふふ」
さらに大きくめくられた先の。
わずかに覗く、白色。
「あっ、あっ、あっ、あっ」
爆ぜる。飛び出る。
天使の姿に呆けるように、ただ口を開いて、それを仰いで。
出る。出る。出る。
彼女の優しさにフタが無くなる。抑えが効かなくなる。いつ以来かもわからない、その下着の繊維一本一本すらも目に焼き付けるほどに。ただ眺めて、声を上げて、ソレを扱く。
熱い。熱い。熱いものが飛び出る。
その程度のコトで、コントロールされてしまう自分に、そんなことで俺をコントロールできてしまうことを知っている水嶋さんに。ただ放つ。熱を放つ。快感に溺れる。惨めさに悶える。浅ましさに顔を歪める。全てが快感になって、俺を突き動かす。手を動かす。
先端を覆う左手が、その熱を受け止める。彼女の上履きの隅すらも汚さないようにと、こんな汚いものを見せないようにと、左手が全てを隠して、その手のひらを汚していく。
「ほらほら」
ひらひらとはためくスカートの奥に、見え隠れする白色に、右手が容赦なく暴れ回る。ブレーキを破壊するチラリズムに、もうすでにイってしまった陰茎の、一番繊細になるその瞬間に、雑すぎるほどの刺激が送り込まれていく。自ら刺激していく。壊していく。
このパンツに、俺はヤられたんだ。このスカートの中に、この太ももに、この靴下に。目に映る水嶋さんの全てに。ああ。ああ。
止まらない。今日もヤられてイく。今日も負けていく。
どうしようもなく、彼女に敗北していく。
最初から。
その脚に、魅力を覚えてしまったその頃から。
同じ学校へ来てしまったその時から。
もう負けている。
オトコは全員。
「じゃあ、"また"ね」
わざとらしく、最後だけ最高の笑顔を見せて、彼女は去っていく。
いまもまだソコを扱き続けている俺を置いて、いなくなる。
「あ、あ、ああ……」
最後の一滴がどろりと流れ落ちる。
「あ、あ」
残された一匹の自分と、右手と、ドロドロの左手と、馬鹿みたいに露出したソコと。
ただそれだけ。それしか残っていない空間に。
「――――――――――――――――ッ!!」
叫ぶ。
何らかの感情を。壊れてしまったモノと一緒に。
吐き出すように。泣き出すように。
ただ、声を上げる。
そして気付く。
「――――はあ、は」
決して、自分が壊れてしまったわけではないことに。
狂った振りをすれば、本当に狂えるかなと思った俺は。
どうやら誰よりも冷静で。
「……はは」
冷徹で、冷酷で。
ただただひたすらに。
正しく、最低な、人間なんだ。
「は、はははは」
おしまい。
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