吹き抜ける風に流されるように、俺はどさりと横たわった。
 
 青々とした草原と仰向けの空。ざああと葉を揺らす風が汗をさらっていく。俺の機嫌を伺うかのように、視界にひょっこり顔を出した太陽が、もうそろそろ宿に戻る時間であることを告げていた。
 
 本日の朝練も収穫なし。
 
 技や魔法に何の変化も見られないと言うのはある意味で収穫と言えるだろうか。サキュバスを名乗る少女に感情も精魂もまるごと持っていかれて、それでも振るう力に何の劣化もないというのは不思議だ。
 彼女は、リリは、俺の力を奪うために近づいてきたのだと話していた。
 そんなことはいまさらどうでも良くて。俺は彼女に愛されるべくして愛してもらって、俺の気持ちをもらってほしくて、おれ自身を受け止めてほしくて。一人の男として、一人の女性に何もかもを投げ打ってまで手にした幸せは途方もなくて、旅だとか魔王だとか富も名声も全てがどうでも良い。
 
 すあああ。
 広大な緑を波立たせる風に、俺は目を閉じる。
 
 俺は俺の居場所を与えられた。
 俺が俺でいてもいい場所を、相手を見つけてしまった。
 きっとこれが旅の終わり。俺の人生の終着点。このままいずれリリに全てを奪われることになったとしても、だから何だという話だ。むしろリリの目的が果たされることが俺の喜びですらある。俺の力が悪用されて人が死ぬことになるなら、それもひとつの成り行きだろう。
 
 だからなんだ。俺は幸せだ。
 宿に戻ればリリがいて、それが俺の全てだ。
 
 仰向けの空を覆うように右手をかざす。相変わらずタコだらけの、いつもの俺の手。
 結局、転移魔法の詠唱破棄には至らなかった。そのうち力を失っても、日課の朝練は続けることになるかもしれない。理由はわからないけれど、漠然とそう感じる。
 あの世でじいさんは怒っているかもしれない。笑っているかもしれない。
 わかっているけれど、どうしようもない。
 胸を脹れるくらいに、俺はリリが好きだ。
 
 
 
「こちらを」
「はい」
 
 軽く頭を下げて俺は協会支部を後にする。
 受け取った紙は丸められて、魔法の印で留められていた。歩きながら解除して広げる。
 書面には日付と場所が記されていた。あの二人もようやく俺と会う決心がついたらしい。しかしただ一度会うだけのことにこんな手紙まで用意しなければならないという状況自体が、俺と彼女たちの間にある溝の深さをよく表していた。
 思わず乾いた笑いが漏れる。
 会って話すだけだろう。以前なら自分の都合で勝手に宿の部屋に入ってくるほどだったのに、やっこさんもどうやら相当ピリついていると見える。
 
 何にせよ、会うよりほかにない。
 
 このままチームが自然消滅になるほうが俺としては楽だったけれど、ケジメをつけると言うならそれもいいだろう。むしろなあなあで会わなくなった数年後に、突然、仲間面をして会いにこられるほうが厄介だ。
 どちらにしろ俺にチームの解消権はない。
 言いたいことをはっきり言って、向こうに諦めてもらって、ついでに彼女たちの後ろ盾になっていた連中にも諦めてもらって、育成の続きには俺以外の別の誰かをあてがってもらうのがいいだろう。どのチームでも問題を起こすことがわかれば彼女たち側に問題があることは馬鹿でもわかる。
 そもそも、どのチームでも問題を起こすからこそ俺に回ってきたのかもしれないけれど。
 
「はいよ」
 
 了解とばかりに紙面に返事をして、丸める。
 面倒な気持ちを一息に吐き出し、俺は宿へと向かった。
 
 
 
   *   *   *
 
 
「おにいちゃーん」
「んー?」
「なんでもなあい」
「んー」
 
 俺が別作業をしていると、リリは決まって俺の背中にくっついてくる。
 なんでも俺が別のことに集中しているときの横顔が好きだとか。受け取り方によってはまるで「無視されたい」という特殊な趣味に聞こえなくもないけれど、おそらくそういう意味ではないのだろう。
 手を動かしながらあくびを一つ。肩に顔を乗せたリリがふんふんと鼻を鳴らした。
 外にでも遊びにいくか、というおでえとの申し出はさくっと却下された。読書に勤しんでいるのは人の目に付く外出を避けてくれているのだと思っていたけれど、意外とインドアなタイプなのかもしれない。
 賢者の二人の一件が片付いたら一緒に世界旅行しようかな。と、そんなことを漠然と考えていたが、もしかしたらあまり喜ばれないかもしれない。
 
「あの二人と会うことになったよ」
 
 一応の報告をしておく。リリからの反応はない。
 俺はそれを、「どうするつもり?」という意味の沈黙と捉えた。続けて口を開く。
 
「どうなるかは正直わからない。向こうの出方次第だと思う。俺を一方的に悪く言ってくるつもりなら全力で応戦して、二度と会うことがないようにするつもりでいる。ただ万が一、万が一にも、無いとは思うけど、向こうが下手に出てきたときの対処法がわからない。そうなったら俺も強く言えないかもしれない」
 
 俺は思ったとおりのことを口にする。
 二度と俺の前に現れるな、とバシッと言い放つ妄想の、その10分の1くらいにショボくなった自分を想像しておくくらいでちょうどいい。現実なんてそんなもんだ。
 
「……おにいちゃんはすぐにネモトを切ろうとするんだから」
「うん? 根元?」
「うまくいくなら、それでいいのに」
 
 と言って、リリが俺の後頭部に鼻をうずめた。
 ん〜……、と悩むような声が骨まで響く。なんだかくすぐったい。
 そうしているうちに両頬を挟むようにリリの腕が後ろから伸びてきて、小さな両手の人差し指がピンと立てられた。
 
「こっちがおにいちゃんで、こっちが友達のAさん」
 
 …………ふむ?
 なにやら人形劇のようなものが始まった。
 
「ふたりは仲良しさんで、おにいちゃんはAさんにだけは秘密を教えたりしてるの。今日は街のお茶会があるので、二人で行くことにしました」
 
 右と左の人差し指がくっついて、横へと流れて行く。
 友人と街のお茶会に行くほどに陽気なソイツは果たして本当に俺だろうか。俺が信用するほどのAとやらは相当な人格者と見える。
 
「お茶会の会場にはたくさんの人がいました。そこで友達のAさんは遠くにBさんを見つけて声を掛けました。BさんはAさんの友達のようです」
 
 友達の友達がでてきやがった。
 気まずいやつだ、これ。
 
「おにいちゃんと仲の良いAさんは、Bさんにも前からおにいちゃんの話をたくさんしていました。その話の中には、おにいちゃんの秘密もほんの少しだけ混じっていました。おにいちゃんの秘密を少しだけ知っているBさんは、『ああ、あの!』と手を叩いて、おにいちゃんの恥ずかしい秘密と一緒におにいちゃんの名前を大声で呼びました」
「……まてまて、悲しいことになってきたな?」
「おにいちゃんの恥ずかしい秘密を聞きつけた周りの人まで集まってきて、おにいちゃんを笑いモノにし始めました」
「やめろやめろ」
「それでもおにいちゃんは怒ることができずに、お腹のなかでグッとこらえて、恥ずかしさと怒りでぐちゃぐちゃになりながら、普段どおりの苦笑いを顔に貼り付けて周りの人を笑わせました。その場は賑やかになりました」
「リアルだからさ、リリ」
「さて問題です」
 
 ここで言葉を切って、リリが息を吸った。
 
「深く傷ついて、家に帰って一人になったおにいちゃんは、こんなつらいことが二度と起きないために、何をするでしょう?」
「……何をする? そんなの」
「ふつうはね」と、肩越しにリリがひょこっと顔を出した。「ふつうは怒るの。Bさんとお話をするの。そのことは言って欲しくなかったって。一緒にいるAさんにも注意するの。それは秘密にしておいて欲しかったって。みんなに笑われて悲しかったって。辛かったって。ちゃんと伝えて、これからはしないでねって怒るの」
「……、…………」
「嫌なことって、大きな木の根の先っぽで起きるの。一本が二本になって、四本になって、たくさん枝分かれしたその先の、細い細い根の先端。そこが腐ってじくじくして、気持ち悪いから、どうにかするの。頑張って治そうとするのがフツーなんだけどね、腐ったところをすぐに切っちゃう人もいるの」
 
 俺がリリを見て、リリの青い瞳が俺を見ていた。
 その瞳の上半分が、すっと目蓋に隠れた。
 
「おにいちゃんがどうするのか当ててあげよっか」
「え?」
「おにいちゃんは人よりもずっと傷つきやすくて、誰も信じてない。根の先がちょっと腐ったくらいでもひどい痛みを感じる人はね、切り落とす場所が、上の方になりやすいの」
 
 そうすれば、二度と同じことが起きないから。
 そう言ってリリはまた指先を使い、根の先を表す。
 
「Bさんに、それは秘密だからこれからは大きな声で言わないで欲しいって怒る? ううん、おにいちゃんは違う。もう一個上に行くよ」
 
 枝分かれする前の、まだ少し太い根に辿り着く。
 
「他にも大勢いる場所だったからこんなことになった。だったら、最初からAさんとはお茶会に行かなければ良かった? 違うよね。もう一個上。お茶会だけじゃなくて、Aさんと一緒に、大勢いる場所に遊びにいかなければ良かった? もっと上。誰だとか、関係なく、人がたくさんいる場所に二度と行かないようにする? それで絶対防げる? でも、だいたいAさんが秘密を言っちゃったのも問題だから、口止めしとけば良かったよね。じゃあおにいちゃんは面と向かって、Aさんに秘密を守ってもらうように言う? そんなことしないよね。まだ上」
 
 根はどんどん集まって、合わさってより太く、より地上に近くなっていく。
 
「Aさんに秘密を言っちゃったのが問題なら、Aさんにはこれからは大事なことは何も話さないようにする? ありえるけど、おにいちゃんはもうちょっと上かな。Aさんと遊ばなければよかった? Aさんと友達になったこと自体が間違い? Aさんと友達をやめる? ……ううん。たぶんだけど、おにいちゃんは」
 
 そこまでいって、リリは両手を降ろした。
 
「友達なんか、作ったこと自体が、間違い」
「う」
「もう誰とも仲良くなんてしない。信じない。だって、痛くて痛くてたまらないから。他の健康な根っこもぜーんぶ道ずれにして、ズバーっと切っちゃうの。ほんの一本が、ちっちゃい根っこの先の先が腐っただけだけど、それよりもずーっと上のほうで切っちゃうの。上の方を選びやすいの。……もっと上までいくとどうなるかわかる? 友達を作らないよりも確実な方法。誰とも関わらなければ良かった。ずっと一人でいれば良かった。もっと言えば、最初から痛みなんて感じなくなれば良かった。悩みなんてなくなれば良かった。ほら、もう地面の上。太い太い木の幹だよ。これが何だかわかる?」
 
 俺はなんだか泣きそうな気分で口を開く。
 
「……いのちか」
「そう。ここを切っちゃえば、もうなーんにもない。どこが腐っても大丈夫。気持ち悪くならない。痛くない。だって死んじゃってるから。死んじゃえば、もう何も辛いことなんてないから。一番確実で、カンペキな方法。ね。上の方、上の方って切ろうとする人って、すごく危ないんだよ」
 
 おにいちゃんにはわたしがいるから大丈夫だけどね。
 そう囁いて、リリはもそもそとベッドの方へ戻っていった。俺は二の句も継げずに、その四つん這いの後姿がこちらを向くまでを黙って見届けた。
 
「あのひとたちとは絶対にケンカしなきゃいけないってわけじゃないんだよね? うまくいくならそれでいいと思うなあ」
「…………」
「それにケンカするって、甘えるってことだから。おにいちゃんが甘えていいのはわたしだけだよ? お外はお仕事。帰ってからいっぱい甘えるの。だからあのひとたちを雑にするのは、わたしが許さないもん。どれだけ嫌なお仕事でも、手を抜くなんておにいちゃんらしくないし」
「……どうなるかは、わからないよ」
「わかんなくていいよ。帰ってくればわたしがいるから。それだけ」
「それだけ、か」
「うん」
 
 あいつらとどうなろうが。
 宿に戻ればリリがいる。
 そうか。そっか。
 
 
 
「それはそれで、ねえ、おにいちゃん……」
「うん?」
 
 先ほどまでよりずっと控えめな声で、リリが俺を呼んだ。
 
「ちょっと、どうしても確かめたいことがあるの……」
 
 珍しく塞ぎがちな表情に、彼女の相談がただごとではないことを瞬時に悟った。
 
 
 
   *   *   *
 
 
 
「して、これは?」
「うん、ちょっとね」
 
 リリの申し出になんの疑問も持たず、俺はこうして天井を眺めている。手首、足首は例によってリリの魔法で縫いとめられたまま、リリの次の動きを待つ。
 服は着ているけれど、体勢が体勢のせいで落ち着かない。もしかして、まさか、この前と同じように『アレ』をしてくれるのかと不埒な期待を抱いてしまう。俺の顔の上に座ってもらったというか跨ってもらったというか、この世のものとは思えないほどの興奮と幸せに気が狂ったアレなソレだ。
 あれからリリに同じコトをしてくれと頼んだことはない。
 というより、頼むタイミングがなかったように思う。もはや俺とリリは恋人同然であって、リリも俺以上にそういった行為に積極的な子となれば気後れする必要もない。リリの恋人然とした態度で「また俺の顔に乗ってくれないか」と口にすればいいだけの話だ。しかしどうも話の流れがそういった方向へ行き着かなかった。
 今考えてみると少し妙だなと思う。あるいは俺の心の大半が読めてしまうリリからすれば俺がソレを求めている瞬間なんてものは一目瞭然なように思えるのに、あえてその話題を自然に避けられているとすれば、リリからするとあまり好ましくない行為なのかもしれない。
 行為を終えた後の、あのじっとりとした目つきを思い出しても、その可能性が高いように思える。俺のことを、「わたしの恋人はなんて恥ずかしい人なんだろう」と呆れることはあるかもしれないけれど、それぐらいであれば話題を逸らしてでも拒絶するほどのことではないように思える
 あるいは。
 副作用があるとか。
 まあ、あまり考えなくてもわかる。あんな、自分自身がトんでしまうような行為を毎晩続けたとして、果たしてそれは俺の脳にとって健康か否かという話である。
 
 きっと不健康だし。なにより不健全だ。
 
「うんとね、うんとね」
「うん、どうしたんだいリリ」
 
 彼女は俺の足元に立ち、両腕を胸元に抱いてソワソワとしている。やけにファンシーな動きで悩むリリに、俺も芝居がかった調子で問い掛けた。
 
「あの、ぜんぜん違ったら別にいいんだけどね?」とリリが頬を染める。
「うん。どうした?」
「えっちなこと、するでしょ?」
「俺とリリが?」
「うん」
「うん」
「そのときにね? もちろんわたしもサキュバスだからいろいろ知ってはいるんだけどね、手とか、口とかね。"方法"はいろいろと、知ってるつもりだったんだ」
「うん、……うん?」
「だけどね、ご本読んでたらね。そのー……、にんげんの人達の中では流行ってるっていうのかな? 最近はそんなこともするんだなぁーって」
「流行り?」
「そう」
 
 おいしょ、と小さな声を上げながらリリはローブの裾、そのヒザ周りを指ですすすとなぞった。何をしているのだろうと観察していると、まるで達人の刃が通ったかのようにローブの裾が輪切りのようにはらりと落ちた。
 彼女は落ちた裾から足首を抜くと、それを胸元にもふっと抱き寄せて笑った。短くなったローブ側の裾からはリリの真っ白な太ももが露になっている。
 
「えへへ。お店のお姉さんが最近はこれくらい大胆なのも人気なんだって。ツメを一周させるだけで着けたり外したりできるんだよ!」
「こんな仕掛けが……」
 
 ロングのローブがミニになった。
 足が大きく露出しているせいで普段よりも活発な印象に見えるけれど、それ以前に彼女の肌が綺麗すぎて見入ってしまう。こっちが寝そべっているだけに、かなり際どい。
 これは目に毒かもしれない。あまり街中を歩かせたくはないな。
 
「どうかな?」と、短くなった裾を片手できゅっと引っ張るリリに、俺はあわててその太ももから視線を外した。
「似合ってる。可愛い」
「ほんと!?」
「それが見せたかった流行の格好なのか」
「あっ、ううん。違うの。えっとね。えーっと……。最近だとね、えっちなことをするときに、なんかね、なんていうのかな、オトコの人がね、手とか、お口よりもね。その、足、でされる、のが好きっていう人がね、増えてる、らしくて……」
 
 俺の両足の間に立つリリが、一歩近づき、その片方の足の先をそっと股間の上に載せてきた。まるで体重の乗らない、羽が舞い降りたかのような触れ方に、俺はまず、何より、先に、口を動かした。
 
「……リリ、リリ?」
「ちがうの、ちがうの。そのね、ちょっと試したくなっちゃっただけなの。たぶん違うと思ってるから。おにいちゃんは、そんな人じゃないはずだから」
「リリ、拘束を解いてくれ。な?」
「ううん、だいじょうぶ。ちがうから。その。足、とか、そんな。おにいちゃんはそんなことで、そんな、イケナイきもちになっちゃ人じゃないってわかってるんだけどね? わかってるんだよ? だから、ちょっとだけ、ね?」
「お、おい」
 
 リリの頬がみるみるうちに上気していく。
 比例するように、わずかに、ほんの少しずつ、ソコに、重みが加えられていく。
 
 冗談じゃない。
 ほんとうに冗談じゃない。
 
「……っ、……リリ? なあ?」
「うん、わかってる、から」
「話を聞いてくれ」
 
 足で。とか。
 どこの変態だ。その本を書いた奴は誰だ。
 なんだその行為は。足だぞ。足って。そんな。そんな雑な、屈辱的な、ありえない方法で。普段歩いている部位だぞ。靴を履いて、地面を踏みしめてるだけの、何の情緒も愛情もない、いっそ攻撃的とすら思えるやり方で。
 正気じゃない。こんなので。
 
「動かす、ね?」
 
 股間に沈んだつま先が、まだ柔らかいままのソコを確かめるように、うにっと蠢いた。俺が思う以上に頭の理解は早く、置いてきぼりの感情だけが必死でオレを引きとめようとしていた。いっそ痛みを感じるほどに踏みつけられたほうがマシだった。そこに愛情が、あってしまった。それはリリの素足で、つま先で、絶望的なまでに、行為だった。
 認めてなるものか。
 嫌だ、絶対に。
 
「……はぁ、……逃げても、いいからね?」
「リリ、なあ。考え直そう。話し合おう」
 
 口が動く。やたらに早くなる。
 それは明らかな焦りだった。
 俺のソコをただじっと見つける少女は、リリで。薄く開いた青い瞳も、肩に流れる金色の髪も、薄く染まった頬も、恥ずかしげに口元を隠す小さな手も。小さな身体に纏う漆黒のローブは淡い緑色に光を反射して、そして無防備なほどに露になった脚は白く輝く。
 呼吸を忘れるほどの美少女。けれど美しさよりもあどけなさに甘く解ける頬。鼻筋。俺の恋人。大切な人。悪魔。
 大人すら魅了する容姿から伸ばされた足の先は、恋人への愛撫。
 興味と恍惚。そして予感に満たされた表情。
 
 そこにいる小さな女の子は、あまりにも俺の恋人で。
 これは、愛の営み。
 
 で。
 あって。
 たまるか。
 
「……っ、……く」
「…………ぁ」
 
 俺は腰を逃がす。縛られた手足ではまともに動かせないけれど、ズラすことくらいはできる。誤魔化す暇も、別のことを考える時間もない。
 逃げてもいいといいうからには、逃げなくては。
 これ以上、ソレが、本当に逃げなくてはいけない行為に変わってしまう前に。
 
 す。にゅ。
 
「……ぁ、……おい、リリっ」
「…………」
 
 無言のつま先が追いかけてくる。
 彼女は口元を隠したまま、俺のソコだけに狙いを定めるようにじっと見つめてくる。
 もう一度逃がそうとする、腰とつま先が交差する、そのわずかな一瞬の擦れに。ちくりと、けれど確かに、生まれてはいけない感覚が腰の裏側を走った。
 いよいよもってふざけていられない。ふざけるなよ、俺。
 いやだぞ、絶対に。そんなの。
 
 足で、だなんて。
 
 逃げた先につま先が追ってくる。
 はぁ、はぁ、という吐息が彼女から漏れた。
 衝動に突き動かされる悪魔に、サキュバスに、小さな小さな女の子に、俺はただ下唇をかみ締めた。
 
「……ふふふっ」
 
 無邪気すぎる笑い声に、手足の拘束がずんと重くなった気がした。
 今更になって、こんなことになって。手も足も動かせずに、首と腰だけにされてしまった俺が、サキュバスの少女の目の前に晒されている。そんな現実が襲いかかってくる。なによりもオトコをたぶらかすことに長けた悪魔を前に、何の疑念も持たず、むしろすすんで、腰だけの男になってしまった自分がどれだけ愚かなのかを。
 本当に、今になって。
 
 ふにゅ。ぐに。
 
「……っ、……!」
「ふふ、ふ」
 
 逃げられるはずもない。それでも腰を動かしたのは誰に対しての言い訳か。
 そもそも、逃げようとすることが間違いだと、それが効果的であることを認めるようなものだと。だったらどうするのか。 ぐるぐると廻る思考が、彼女のつま先の感触に、断片的になっていく。
 俺は腰を諦める。歯の隙間から息を吐いて、顔を背け、壁の模様を眺めながら、わずかに動く手首を下に向け、シーツを掴む。
 耐える。耐える。たえる。
 何を。
 
 少女の笑い声はかすれ気味に、覆った口元に吸収されてぼんやりと広がる。
 転がる。転がされる。ぐにぐに、くにゅくにゅ。右へ左へ。竿へ、玉へ。押して、引いて、押し付けて。部屋に響くのは遊戯に夢中になる女の子らしい笑い声。目を閉じても止むことはない。
 
 嫌だった。
 本当に、いやだった。
 俺と言うイキモノがイヤになっていく。
 
「リリ」
「んー……? ふふっ」
「手で、して。お願い。お願いだ」
「――――っ、そんな、こといわれちゃったら、キュンてしちゃうから、ダメだよ、おにいちゃん」
「お願いだから」
「うん。明日、してあげるね。いっぱい」
「リリ」
「大丈夫だよ。信じてるから、ね? おにいちゃん。…………ほら」
 
 目を向けた先のリリが、開いた手でそっとローブの裾を持ち上げた。
 白い太もものさらに奥で、俺を狂わせた純白の布が、その一端を覗かせた。
 
 ぎにゅ。
 一際強く、その足裏に踏み込まれる。
 
「――――ッ、ん、んふ」
「もしかして、気持ちいい? 足、だよ?」
「ん、な、わけ」
「うん。だいじょうぶ、だよね? ……ほら、おにいちゃん、ここ、好きなんだよね?」
 
 もう片方の手も加わり、裾がテント状に持ち上げられる。
 小さなリボン。お腹、おへそ。下着の薄い生地に彼女の白い肌色が透けて。股布から下へわずかな皺が刻まれて。そこで。その部分で。彼女の下着で。俺は。この前。
 
 小さな足が往復する。
 布越しの裏筋を撫でるように、衣擦れの音だけを残しながら。
 どうしてそんな箇所に刺激を感じるのかなんて、今更言うまでもなく。
 
「……おにいちゃん?」
「……っ」
 
 その呼びかけが、全てを内包している。
 
「おにいちゃん?」
「……、つっ」
「おにいちゃーん?」
「…………ん、く」
 
 あえてみなまで言わない呼びかけが、俺の責任を問う。
 俺の股間に問う。オレ自身に問う。
 これは、どういう状態を表すのかと。
 
「ねえ、おにいちゃん……」
「ち、ちがっ……」
「ちがうよね? そうだよね? もうちょっと確かめる、ね?」
「んく、ぁっ」
「これ……、おにいちゃん……?」
「も、やっ、もうやめ……っ」
 
 せめて手で。
 せめて人として。
 こんな間違った方法で、間違えたくなんてない。
 
 んず。ず。ずす。
 
 擦れは強くなる。悪魔の少女は俺を見る。
 熱にうなされる様な赤い顔でローブの裾をたくし上げ、ときおり口元に手を当てながら、ただ続ける。下着に包み込まれた柔らかそうな腰。その先からすらりと伸びてくる白い足。折り曲げたひざに太ももが浮いて、擦り付ける度に下がって、浮いて、また下がる。
 足首の拘束がビンと張る。開いた股を閉じられない。
 手首がぎゅっとなる。そのつま先をどけることも、股間を隠すこともできない。
 
 ただただ。
 俺の腰に。
 リリの足が。
 塗りつけられる。
 
 衣擦れの音が部屋を支配する。
 必死で堪えた声のかわりに、ベッドがギシリと鳴く。
 顔を振っても、目を閉じても、塞ぐコトのできない耳。すりすり、ずりずりと響く音が、股間の奥からわき出る痺れと同時に襲ってきて、俺の意識はどうしようもなく、それらを彼女の足と切り離すことができずにいる。
 俺は踏まれている。
 股間を踏まれている。
 悪魔の少女に踏まれている。
 小さな小さなサキュバスに踏まれている。
 
 恋人に、踏まれている。
 
 ああ、ああ。
 
 
 
「脱がす、ね?」
「……あ、あ」
 
 本能的に腹を浮かせて尻に体重を乗せた。
 何の抵抗にもならなかった。
 ズボンも下着も、彼女の両手にあっさりと引き抜かれる。
 
「…………」
「…………っ」
 
 皮肉にも、隆起した陰茎の先が下着の端に引っかかった。リリはそれをくい、くいと軽く引張り、簡単に脱がせられないほどになってしまっているのを確認した上で。
 その上で、俺を見る。
 俺は即座に首を振った。すぐさま視線を逃がした。ほんの一瞬だけ見えた彼女の顔は、形としては微笑にも見えた表情には、あらゆる感情が内包されているようだった。
 そっと外されて、自由になった陰茎が嬉しそうに空気中へ跳ねたのを感じた。
 
「……ふふっ」
 
 シーツの音。軋み。リリが立ち上がる気配。
 
 にっ。
 
「……っ!? ……あっ、あ」
 
 目蓋の隙間から覗いた世界で、陰茎の先がにゅるんと濡れて、彼女の足の指に包まれて連れて行かれる。もはや俺の方へと向いてしまっているソレが、引き絞られるように天井を向き、そして足の方へと曲げられて。
 
 ぺとん。
 
「……んふ、ふふ」
「……ぐ、ふ、ぅあ」
 
 解放された俺の分身が元気に下腹部に激突して、無様な音を立てた。
 
 ぺちん。
 ぷとん。
 
 何度も先端を優しく包む、彼女の足の指先。濡れているのは、俺のせい。
 引っ張られて、引っ張られて、放たれる。
 
 ぺとん。
 
「……っ、……は、ぁ。……あ、ぐ」
 
 ぺち。
 ぽとん。
 
「や、あ、やめ」
 
 
 
 ――――これはなに?
 ――――どういう状態?
 
 まるで尋ねるように、問いただすように、少女の足は繰り返す。
 俺は顔を歪めて、背ける。
 見ているから。
 間違いなく、リリが俺を見ているから。
 俺と、オレ自身を見比べて、頬を染めて、眉を寄せて、じっと見つめている。
 そうに違いないから。
 
 ぺとん。
 
「あっ、う」
 
 恥辱の証。
 興奮の証拠。
 俺の快感の塊が、小さな少女の前に晒されている。
 その足で踏まれたことを。擦られたことを。
 そして、それで間違いなく、気持ちよくなってしまったことを。
 なによりも、性的に、興奮してしまったことを。
 青い瞳を前に、告白している。
 
 顔が熱い。
 歯の隙間から蒸気が出そうだ。
 口の中は唾液だらけで。
 鼻の奥が切ない。
 歪ませた顔、その薄暗い視界からシーツの皺が見える。この真っ白なシーツが広がっていて、その先には内装の壁が見えて、小物があってテーブルがあって。この世界と、いま下半身で起こっている世界は、同じ世界。
 
 ぺちん。
 
 白い世界に助けを求める。
 隠してくれ。
 俺を守ってくれ。
 何も答えてくれない。壁は何も話さない。
 少女の足に踏まれて。踏まれて。擦られて。それで、不徳にも、気持ちよくなってしまったのは俺。俺。そんな歪みすぎた負債を、誰も肩代わりなんてしてくれるはずもない。
 当然の話。勃起しなければいいだけの話。一回りも幼い少女を相手に。それも足なんかで踏みつけにされて。こんなふざけた行為で引くほどにアソコを硬くするようなオトコでなければ、何の問題もないはずで。
 そんな当たり前の話が。
 
 
「違うよね? おにいちゃん」
 
 にゅりう。
 
「――――ッ!? ああっ、あっ、あっ」
「ふふ、ふふ。……これ、違うんだよね? 本に書いてあったみたいな、変態さんってことじゃないよね?」
 
 裏筋を稲妻が走る。
 やけに湿った、滑らかな電流。
 
「足で、出しちゃったりしないよね? ね?」
 
 ぬるう。にる。
 にゃりう。にちゅ。
 
 襲い来る、彼女の足裏。
 股間が膨らんで行く。熱に膨張していく。やけに覚えのある、そしていずれ破裂するであろう、特殊な熱を孕んで、全体が大きくなっていく。
 否定しようのない『キモチイイ』
 塗りたくられる。
 おれ自身から漏れた液を塗られて、滑って、擦られていく。
 
 踏まれて。ああ。気持ちいい。
 リリに踏まれて。こんなことで。気持ちいい。
 こんな、女の子に。踏まれて。
 
 イヤだ。
 
「きゅふ、ふふ。ちがうよね? もうすぐ出そうになったり、してないんだよね? 信じて大丈夫だよね? おにいちゃん、おにいちゃん?」
「やはっ、やっ、やめ、やめ」
「逃げてもいいからあ、ねえ、ちゃんと否定して。ちがうよね? ねえ?」
 
 確信に、彼女は嗤う。
 眉を寄せて微笑む。
 わかりきった答えを得るために、俺に問う。股間に問う。
 
 にりゅっ。ぬっ。るぬっ。りゅんっ。
 
 諦めた腰を再び逃がそうとする。
 浮き上がった拍子に彼女のつま先が踏み込まれる。付け根を襲うズンとした甘い痺れ。唾液が飛び散りそうになる。口を閉じて。鼻で鳴いて。自分自身をそれでも逃がす。
 
 んちゅ。にちゅ。
 
「あー……っ、あーっ、あ、あ、あー」
 
 馬鹿のように喉を鳴らして、呆けるように腰を動かす。
 逃げられない。逃がしてくれない。
 どうせ、逃げられないことを、わかりたくない、けど、わかっていて。
 それは、しあわせに。
 
 白んで。
 
「やぁ……ん、すごい、えっち。おにいちゃん。すごいえっちだよう……?」
 
 ねぇ、もっと逃げてぇ。いっぱい逃げてぇ。
 彼女の言葉に膨れていく。彼女の足に痺れていく。じくじくとした熱を持ちながら、ぶくぶくと膨れ上がっていく。
 俺の腰と彼女の足が踊り狂う。離れて、擦れて、交わって。
 膨らんで、浮き上がる。逃げているはずの腰が何かを求め始める。

 まっすぐ上。
 右でも左でもなく。
 それは彼女の足がある方向。
 
「あっ、……すごい」
「ああ、あ、あ、あっ」
 
 逃亡という大義名分を得て。
 俺の腰は引力に吸い寄せられるように浮き上がる。
 擦れて、想定を超えた快感に、受け切れないと判断した腰が勝手に反れて、また戻って。
 
 にりゅうる。ぐりゅ。ちゅりゅる。
 
 眉間が白くなっていく。
 イヤだ。イヤだと念じながら、腰の先を彼女に捧げる。
 堕ちていく。道徳の反転した世界に。
 その、しあわせに。
 彼女の素肌に。足の裏に。
 
 視界が弾ける。暗くて白い。
 泣きそうなほどに嫌がったおれ自身に、おれを明け渡す。
 腰は彼女の足を求める。
 馬鹿になることを求める。
 全身を廻る強烈な敗北感。背徳感。小さな女の子に、踏まれたがる、頭のおかしな人間に、なることに、もはや抵抗せずに。ただ。腰を浮かせて。
 
 差し出した俺自身を。
 彼女の足が、一際、勢い良く、擦り上げた。
 
 
 
「――――――――――ッ!!」
 
 
 
 泣いた。泣いていた。
 鼻の奥がひどく切なかった。
 吐き出すのは自らの認知。
 自分自身がどんな人間であるのかを、陰茎から吐き出す。
 暴れ狂う腰を、彼女の足が征服していく。
 吐き出す。吐いていく。
 まるで俺自身を高らかに謳うように、勢い良く吐露していく。
 
 びゅにゅり。りゅりゅん。
 
 液にぬれた足裏が滑り狂う。
 裏筋はまだ痺れ続ける。
 俺は俺を告白していく。股間からの先から。しろいおれを吹き上げる。へんたいを吹き上げる。びゅるびゅると、彼女の足に屈服して、崇拝して、仰向けになって、息も絶え絶えに、へんたいをまきちらす。
 おれがあふれていく。これはおれ。しろいおれがながれでていく。
 なにもきこえない。
 目で泣いて。口が笑う。
 
 ぐちゅる、にちゅ、るるるる。
 
 とめどないおれが世界に溶けていく。
 こしのさきから溶けてでていく。
 おれがなくなっていく。
 くうきにとける。
 
 一瞬一瞬に諦めながら。
 念入りに自分自身の尊厳を諦めながら。
 差し出して、踏まれて、飛び出ていく。
 踏みにじられていく。
 
 絶望的なほどの幸せに。
 俺はそっと俺自身を投げ出した。
 
 
 
   *   *   *
 
 
 
「……しらない」
「おにいちゃん、おにいちゃん」
 
 湿った枕に、ずずりと鼻を鳴らす。
 背中に小さな体温を感じながら、俺は身体を丸める。
 
「リリきらい」
「ごめんね、ごめんね? おにいちゃん、ねーえー」
「いやだって言った」
「や、……うん。そうだけど、それは、うん。でも、ごめんね?」
「手がいいって言った」
「と、止まれなかったんだもん! おにいちゃんだって悪いんだからね!?」
「俺も悪い。おれが悪い。もうなんでもいい」
「ごーめーんー! おにいちゃん、すねないでよう」
 
 わかるか。リリ。
 好きな女の子に、足なんかでイかされた男の気持ちが。
 わからないだろう。わかってたまるか。
 
「太陽が昇ったら朝で、沈んだら夜だ。それでいい。それでいいよもう」
「おにいちゃんっ! もうっ!」
 
 もそもそと布団の中を動き、リリの愛らしい困り顔が目の前にくる。
 可愛くて、好きで、キライだ。
 
 暗くなって、顔の奥がうっとなって、口元に甘さが残った。
 頬を染めたリリが、申し訳なさそうに上目遣いを見せる。
 
「これで、ゆるして、くれる?」
 
 不意打ちのキスが枯れ切った身体をゆっくり満たしていく。
 あんな醜態をさらした俺が、それでもやっぱり愛されているという事実に、俺はくすぐったくて寝返りをうった。
 そんな簡単に機嫌を治してたまるかという精神でやっていきたい。
 
「ふん」
「おにいちゃんー……」
 
 今度こそ前にも回れないように、身体を縮めて布団にしがみつく。
 示談などありえない。
 俺は嫌だと言ったんだ。
 ちゃんと言ったんだ。
 もう少し、もう少しだけリリが俺を甘やかしてくれるまで、徹底抗戦してやる。
 
 またもそもそと背中に寄ってくるリリに、俺は身構えた。
 
 
 
「……また、こんど、その、足でシてあげるから、ね?」
 
 
 
 背中から聞こえたのは、およそ和解を目指す言葉とは思えなかった。
 頭がおかしいのかリリは。
 俺は足でされたことをこれだけ怒っているのに。
 そんなもので、そんな条件で俺が。
 そんなもので。そんな、そんなもので。
 
 そんな、もので。
 
 
 
 

 書いたもの

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 プレイ内容(ネタバレ含む)


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